911 調査委員会報告書


合衆国に対するテロリストの攻撃についての国家委員会最終報告書
 
第1章「我々は数機を確保している」 原報p.1)
 2001911日・火曜日、合衆国東部はほとんど雲もない穏やかな夜明けを迎えた。何百万人の男女が働く準備をしていた。中にはニューヨーク市にあるワールド・トレードセンター複合施設の象徴的存在であるツインタワーに向かっている者もいた。 またあるものはバージニア州アーリントンのペンタゴン[国防総省]に向かっていた。ポトマック川をへだてた合衆国議会は審議を再開していた。ペンシルバニア通りの一方では、ホワイトハウスへのツアー客が並び始めていた。フロリダ州サラソタでは、ジョージ・W・ブッシュ大統領が朝のランニングに出かけていた。
 空港に向かっている人たちにとって、これ以上に安全で楽しい旅を期待できる天候は無いだろうという朝だった。旅行者の中に、モハメド・アタとアブドル・アジズ・アル・オマリもいた。彼らは、メーン州ポートランドの空港に到着したところだった。

以下の時刻はアメリカ東部時間(夏時間)で、日本との時差は十三時間ある。したがって現地の午前八時は、日本では同日午後九時となる。(訳注)  

1・1 4便の機内  (原文 p.1
フライトへの搭乗
ボストン:アメリカン航空11便およびユナイテッド航空175便.アタとオマリは、午前600分、ポートランドから ボストン・ローガン国際空港行きの便に搭乗した。
 彼らのボストン便へのチェックインにあたり、アタはCAPPSComputer Assisted Passenger Prescreening System)として知られるコンピュータ補助乗客審査システムの検査対象者となった。このシステムは、問題人物のチェックを行ない、特別な安全基準による審査に回すために作られたものである。しかし、この時の安全基準は、アタの手荷物を彼の搭乗が確認されるまで機外にとどめると言うものだった(*)。この措置はアタの計画の妨げとはならなかった。         (*)手荷物中に爆発物があれば、本人は搭乗しないことを前提としている(訳註)
 アタとオマリは645分、ボストンに到着した。その7分後にアタは長年の仲間で、同じローガン空港の別のターミナルにいるマルワン・アル・シェヒから電話を受けた。彼らは3分間通話した。これが彼らの最後の会話となったに違いない。
 645分から740分の間に、アタとオマリ、さらにサタム・アル・スカミ、ワイル・アル・シェリ、ワリード・アル・シェリがチェックインし、アメリカン航空11便、ロサンゼルス行きに搭乗した。この便の出発予定時刻は745分だった。
 ローガン空港の別のターミナルでは、シェヒがファエツ・バニハマド、モハンド・アル・シェリ、アーメド・アル・ガムディ、ハムザ・アル・ガムディと共に、ユナイテッド航空175便ロサンゼルス行きにチェックインしていた。シェヒの仲間の内2人は明らかに旅慣れておらず、ユナイテッドのチケット係りによれば、安全確認の質問を理解出来なかったため、正しい答えが出るまで、彼女は何度もゆっくりと読み聞かせてやらなければならなかった。この便は800分出発の予定だった。
 アタとその仲間たちを含む乗客がアメリカン11便のゲートに行くためのチェックポイント[複数]は、アメリカン航空と契約したグローブ・セキュリティー社が運営していた。別のターミナルのユナイテッド175便のチェックポイントは一か所で、ユナイテッド航空が契約したハントレー・USA社が審査を行っていた。 
 これらのチェックポイントを通過するにあたり、ハイジャック犯たちは金属探知ゲートを通過して検査された。そのゲートは口径0.22[インチ]拳銃の探知が出来るように設定されていた。ゲートで探知機を鳴らした者は、手持ちの探知棒によって検査された。検査員は、金属物質あるいは警報を鳴らした物質を特定する必要があった。さらにX線検査器が機内持ち込み手荷物を検査した。この検査は、武器その他の旅客機内に持ち込みを禁じられている物品を特定し、没収するためである。チェックポイントの監督者の誰一人、ハイジャック犯と彼らの審査についての疑わしい報告を思い出した者はいなかった。
  アタがポートランド空港で検査対象となっただけでなく、ハイジャック犯の他の3人、スカミ、ワイル・アル・シェリ、ワリード・アル・シェリもボストン空港で検査対象者になった。この場合の措置も、チェックポイントでの審査ではなく、彼らの検査済みの手荷物を当人の搭乗確認まで、機外に留め置くというものだった。5人全員はチェックポイントを通過し、アメリカン11便のゲートに向かった。アタ、オマリ、スカミはビジネスクラスの席(それぞれ座席番号8D,8G.10B に着いた。シェリ兄弟はファーストクラスの第2列の隣接した席(ワイルは2A,ワリードは2B)だった。
  彼らは731分から740分の間にアメリカン航空11便に搭乗した。飛行機は740分、ゲートから離れた。
  シェヒのチームは誰もCAPPSの検査に該当する者はなく、723分から728分の間にユナイテッド航空175便に搭乗した。(バニハマドは2A、シェリは2B, シェヒは6C、ハムザ・アル・ガムディは9C,アーメド・アル・ガムディは9Dだった) 彼らの飛行機は800分直前にゲートから離れた。
 ワシントン・ダレス空港:アメリカン航空77便. ボストンの南西数百マイルのワシントンD.C.郊外、バージニアのダレス国際空港では、5人の男達が早朝のフライトに搭乗する準備をしていた。715分、そのうちの2名、ハリド・アル・ミダルとマジェド・モケドが、アメリカン航空のチケット・カウンターで、ロサンゼルス行き77便のチェックインを行った。それから20分以内に、ハニ・ハンジュールと2人の兄弟、ナワフ・アル・ハズミとサレム・アル・ハズミが続いた。
  ハニ・ハンジュールとハリド・アル・ミダルおよびマジェド・モケドがCAPPSでチェック対象者となった。ハズミ兄弟はチェックインカウンターで、航空旅客サービスの主任( representative)によって、特別な安全審査を受けることになった。これは兄弟の一人が写真付の身分証明書を持っておらず、英語も理解できなかったためである。主任は2人を怪しいと思ったが、その結果は、2人の搭乗が確認されるまで、彼らのチェック済みの手荷物を機外に留め置いただけだった。
 結局5人のハイジャック犯は全員、メインターミナルの西チェックポイントを通過した。ユナイテッド航空は、安全確認業務をオルゲンブライト・セキュリティー社に外注していた。チェックポイントはビデオ記録装置を備えており、ハイジャック犯を含むすべての乗客の審査状況を記録していた。718分、ミダルとモケドがチェックポイントに入った。
 ミダルとモケドは機内持込みバッグをX線機械のベルトの上に置き、最初の金属探知機に進んだ。人とも警報が鳴り、次の金属探知機に導かれた。ミダルは警報を鳴らすことなくチェックポイントの通過を許可された。モケドは警報を鳴らし、審査員が探知棒で調べた後通過を許された。
 約20分後の735分、77便の別の乗客、ハニ・ハンジュールがメインターミナルの西チェックポイントで二つの携行バッグをX線装置のベルトに置いた。そして警報を鳴らすことなく金属探知機を通過した。少し遅れて、ナワフとサレム・アル・ハズミが同じチェックポイントに入った。サレム・アル・ハズミは金属探知機をクリアーし、入場を許された。ナワフ・アル・ハズミは一台目と二台目双方の金属探知機を鳴らし、通過前に探知棒により検査された。さらに彼のショルダーバッグは爆発物検知器で検査された後、通過を許された。事件後ビデオテープを検証すると、彼の後ろのポケットの縁に不明の物体が留められているのが認められた。
 後に、連邦航空局(FAA)の地方民間航空安全事務所が安全審査の操作について調査した。チェックポイントの検査員は、特に問題となったことを思い出せなかった。彼らは自分たちが検査した乗客の中に、CAPPSの対象者がいたことさえ覚えていなかった。我々は検査のベテランに探知棒の操作のテープを見てもらったが、その仕事ぶりは「良く言っても最低限」(marginal at best)ということだった。検査員は、何が警報を鳴らしたかを「確認」すべきだったが、モケドとハズミの場合は、明らかにそうしなかった。
 750分、マジェド・モケドとハリド・アル・ミダルが搭乗し、エコノミーの12A12Bに着席した。1B(ファーストクラス)を指定されたハニ・ハンジュールがこれに続いた。ハズミ兄弟はハンジュールに合流し、ファーストクラス区域の5E, 5Fに着席した。
 ニューアーク空港:ユナイテッド航空93便. 703分から739分の間に、サイード・アル・ガムディ、アーメド・アル・ナミ、アーマド・アル・ハズナウイおよびジアド・ジャラーが、ユナイテッド航空のチケット・カウンターで、ロサンゼルス行93便(*)のチェックインを行った。内2名は手荷物検査の対象者となり、2名は検査対象にならなかった。しかし、ハズナウィはCAPPSで選出された。彼の検査済みのバッグは、さらに爆発物の検査を受けた後、飛行機に搭載された。  (*)「サンフランシスコ行」となっている個所もある(訳註)
  4名はチェックポイントを通過した。そのチェックポイントは、ユナイテッド航空の所有で、契約によりオルゲンブライト・セキュリティー社により運用されていた。ボストン空港のチェックポイントと同様、ビデオ記録装置はなかった。したがって、ハイジャック犯たちがいつチェックポイントを通過したか、またどの警報が鳴ったか、あるいはどのような安全確認手順が実施されたかなど、記録上の証拠はない。後に行われた連邦航空局の聞き取り調査に対し、検査員は特に異常や不審を感じた乗客は無かったと述べている。
  人は739分から748分の間に搭乗した。四人ともファーストクラスだった。この飛行機にはビジネスクラスは無かった。ジャラーはコックピット(操縦室)に最も近い1B、ナミは3C、ガムディは3D、そしてハズナウィは6Bだった。
  19名の男たちは大陸を横断する4機に搭乗した。彼らはこれらの飛行機をハイジャックし、それを11,400ガロンのジェット燃料を搭載した巨大な誘導ミサイルと化すことを計画していた。2001911日火曜日、8時、彼らはアメリカの民間航空がハイジャック防止のために設置した保安措置のすべてを打ち負かしてしまった。

アメリカン航空11便のハイジャック 
 アメリカン航空11便はボストン発、ロサンゼルス直行便として準備された。911日、ジョン・オゴノウスキー機長、トーマス・マクギネス副操縦士がボーイング767型機を操縦していた。客室乗務員は最大限の9名、乗客は(テロリスト5名を含み)81名だった。
 同機はボストン空港を午前759分に離陸し、814分直前に高度26,000フィートに達していた。指定の巡航高度29,000フィートには及ばなかったが、交信およびフライトデータはすべて正常だった。この時刻になれば普通「シートベルト着用」のサインが消え、9名の客室乗務員は機内サービスの準備に入っていただろう。
 同じ時刻、アメリカン11便は地上と最後の通常交信を行なった。この時、同機はボストンの航空交通管制(air traffic controlATC)から航法の指示を受けた。この交信の16秒後に、ATC管制官はパイロットに高度35,000フィートへの上昇を指示した。しかしこの指示以後の交信は確認されていない。これらの事や他の証拠から、我々は、ハイジャックは814分か、その少し後に始まったと信じている。
 人のエコノミー客室乗務員、ベティー・オングとマデリーネ・アミー・スウィニーからの報告は、どのようにハイジャックが起きたかについて、我々が知りうる、ほぼすべてのことを語っている。ハイジャックが始まったとき、ハイジャック犯たち、―おそらくファーストクラスの2列目にいたワイル・アル・シェリとワリード・アル・シェリ― が、室内サービスの準備を始めていた二人の無防備の客室乗務員を刺した。
 ハイジャック犯がどのようにコックピットに侵入したか、正確なことは判っていない。FAA規則では、飛行中はドアを閉め、施錠することになっている。
 オングは、彼らは「無理やり押し入った」と推測している。おそらく、テロリストはコックピットの鍵を奪うためか  Note 26、コックピットのドアを開けるように強いるためか、あるいは、機長または副操縦士をコックピットの外におびき出すために、客室乗務員を刺したのだろう。あるいは、ただ単にテロリスト達の進路の邪魔になっただけかもしれない。
 これと同時か、もう少しあとに、アタ 搭乗していた中でジェット機の操縦訓練を受けていた唯一のテロリスト― は彼のビジネスクラスの席から、おそらくオマリを伴ってコックピットに向かった。この時,アタとオマリのすぐ後ろの列に座っていた乗客の1人、ダニエル・レビンがハイジャック犯の一人 ―おそらくレビンの真後ろの席にいたサタム・アル・スカミによって刺された。レビンはイスラエル軍士官として四年間の軍歴があった。彼は別の仲間が後ろに座っていたとは気付かず、そのすぐ前にいたハイジャック犯を止めようとしたのだろう。 
 ハイジャック犯たちは速やかに機内を制圧し、ファーストクラスの乗客・乗員を後方の座席に移動させるため、胡椒スプレーのメースあるいは他の刺激物を噴霧した。その際、彼らは爆弾を持っているとも言った。
 ハイジャック開始約5分後、ベティー・オングはノースカロライナ州キャリーのアメリカン航空・南東部予約オフイスにAT&Tの航空電話経由で連絡し、搭乗便の非常事態を告げた。これは客室乗務員がその訓練の範囲を越えて取った、9/11での幾つかの出来事の中の最初の行動だった。訓練ではハイジャックされた場合は、コックピットの乗員と連絡を取ることが最も重要だとされていた。非常電話は約25分続いた。オングは冷静に、そしてプロらしく、機内で起きている出来事を地上の責任者に伝え続けた。
 819分、オングは報告した。「コックピットは応答がありません。ビジネスクラスでは誰かが刺されました。―そして私はメースが撒かれたと思います― 私たちは息ができません― これはハイジャックされたと思います」。そして彼女は人の客室乗務員が刺されたと話した。
 821, ノースカロライナのニディアゴンザレスでオングの電話を受けたアメリカン航空の社員が、テキサス州フォートワースのアメリカン航空管制センターに警告した。それは勤務中のマネジャー、クレイグ・マーキスに伝わった。マーキスは直ちに危機を察知し、フライトに責任がある航空管制担当者にコックピットとの交信を指示した。823分、担当者はフライトとの連絡を試みたが、うまく行かなかった。6分後、アメリカン航空の管制センターの専門家(specialist)が、FAAのボストン運航管制センターにフライトについて連絡した。センターはすでに問題を把握していた。 
  ボストン・センターは、825分直前にハイジャック犯が乗客に伝えようとした放送を受信していたため、問題を一部知っていた。マイクロフォンのスイッチが入れられ、犯人の声が聞こえた。「誰も動くな。それですべてOKだ。お前達が何かしようとすれば、自分と飛行機を危険にする。ただじっとしていろ」。航空管制官はこれを聞いた;オングは聞いていない。おそらくハイジャック犯たちはコックピットの通信設備の正確な扱い方を知らず、機内の乗客向け放送が機外の管制チャンネルに送信されてしまったのだろう。825分と829分、エイミー・スウィニーはボストンのアメリカン運航サービス事務所に連絡を試みたが、機内で誰かが傷つけられたと連絡したのち、交信は切られてしまった。さらに3分後、スウィニーはオフイスに再接続し、地上のマネジャー、マイケル・ウッドワードに最新の状況を伝えた。
 826分、オングは機が「不安定な飛行」をしていると告げた。その1分後、11便は南に向きを変えた。オングとスウィニーが、入室禁止のコックピットに侵入した者たちの座席番号をいくつか報告したのを受けて、アメリカン航空はハイジャック犯の身元特定を開始した。
 スウィニーは彼女の回線を通じて冷静に、機がハイジャックされていること、ファーストクラスの一人の男性が首を切られたこと、客室乗務員2名も刺され、一人は軽傷だが一人は酸素吸入を受けており医師を必要としていること、また客室乗務員はコックピットと連絡が取れず、そこには爆発物があると報告した。スウィニーは、ウッドワードに今後もオングと交替で出来るかぎり機内の状況を地上に伝えると言った。
 838分、オングは機が再び不安定な飛行をしているとゴンザレスに告げた。スウィニーは、ハイジャック犯は中東人だと言い、座席番号から3名の名前をウッドワードに告げた。一人は殆ど英語を話せないが一人は非常に達者なこと、ハイジャック犯達はコックピットを占拠したが、どうやって入ったのかは判らないなどと伝えた。機は急速に降下していた。
 841分、スウィニーは、エコノミー客室にいる乗客たちは、ファーストクラスに緊急医療が必要な患者がいると思っているとウッドワードに伝えた。他の客室乗務員は乗客の介護にあたり、スウィニーとオングは地上との連絡を続けた。
 841分、アメリカン航空の管制センターでは、一人の同僚がマーキスに、航空交通管制官たちは11便のハイジャックを宣言し「11便は(ニューヨークの)ケネディー空港に向かていると思う」と話した。彼らは、[管制中の]全機を航路外に出していた。そして一次レーダ上に11便をとらえ、降下中と見なした。
 844分、ゴンザレスはオングとの交信は途絶えたと報告した。同じ時刻、スウィニーはウッドワードに報告した。「機体の様子が変です。急速に降下しています。いたる所の上を飛んでいます」。ウッドワードはスイニーに、窓から見てどこを飛んでいるか判らないかと尋ねた。スウィニーは答えた。「低く飛んでいます。とても、とても低い。低すぎる」。数秒後彼女は言った。「ああ神様、低すぎます」電話はここで途切れた。
  84640秒、アメリカン航空11便はニューヨーク市ワールド・トレードセンターの北タワーに激突した。すべての搭乗者は、タワー内の数知れぬ人々と共に一瞬にして殺された。
ユナイテッド航空175便のハイジャック 
 ユナイテッド航空175便はロサンゼルスに向け800分に出発する予定だった。ビクター・サラチニ機長、マイケル・ホロックス副操縦士がボーイング767型機を操縦していた。客室乗務員は7名、乗客は[ハイジャック犯5名を含み56名だった。
 758分、ユナイテッド175便はゲートから離れ、814分[ボストン]ローガン空港を離陸した。833分には、所定の巡航高度31,000フィートに達した。客室乗務員は機内サービスの準備に入っていたと思われる。
 この便は、アメリカン11便がハイジャックされている最中に離陸した。そして842分、ユナイテッド175便の乗員は別の機(アメリカン11便だったことが判明している)からの「不可解な通信」を離陸直後に受信したと報告した。これがユナイテッド175便と地上との最後の交信となった。
 ハイジャック犯達は842分から46分の間に襲撃した。彼らはナイフ(乗客2名および客室乗務員の報告)、刺激性ガスのメース(乗客1名の報告)などを使用し、爆弾も有る(同じ乗客)といって脅迫した。彼らは乗務員を刺し(客室乗務員と乗客1名の報告)、パイロットは2人とも殺された(1人の客室乗務員の報告)。これらの目撃情報は、もともと機内前方の席にいた乗客の、機内後方からの電話で地上にもたらされた。これは、乗客、乗員とも機体後方に集めたられたことを示している。さらに犯人の着席方法や実行手段、武器の目撃情報などがAA11便と類似していること、またチームリーダーのアタとシェヒ間の接触も推定されることなどから、両機の手口は同じだったと思われる。
 ユナイテッド175便の異常を示す最初の兆候は847分に起きた。その時、飛行機のビーコン・コード(*)が、1分以内に2度変えられた。851分、機は所定の高度から外れ始めた。ニューヨークの航空管制官たちは、1分後から繰り返し同機との交信を試みたが無駄だった。
 (*)自動応答装置(トランスポンダー)が出す4桁の数字信号 (訳註)
 852分、コネチカット州イーストンに住む1人の男性、リー・ハンソンが、ユナイテッド175便に乗っていた息子ピーターからの電話を受けた。「飛行機のコックピットが乗っ取られたようなんだ。客室乗務員が1人刺された。 それに、前の方で誰かが殺されたようだ。飛行機は変な飛び方をしているよ。ユナイテッド航空を呼んで、彼らに話してよ。ボストンからロス行き、175便だよ」。リー・ハンソンはイーストンの警察に電話し、彼の聞いたことを伝えた。
 同じ852分、男性客室乗務員がサンフランシスコのユナイテッド航空オフイスに電話をした。マーク・ポリカストロが出た。そして175便がハイジャックされたこと、パイロットは2人とも殺されたこと、1人の客室乗務員が刺されたこと、多分犯人が飛行機を操縦していることなどを伝えた。通話は約2分間続いた。その後、ポリカストロは同僚と共にこの機との接触を試みたが、うまくゆかなかった。
 858分、機首はニューヨーク市に向けられた。859分、175便の乗客、ブライアン・ダビド・スウィーニーが妻のジュリーに電話を試み、留守番電話に飛行機がハイジャックされた旨のメッセージを残した。それから母親のルイザ・スウィーニーに電話をし、ハイジャックされたことと、乗客がコックピットに殺到して犯人から飛行機を奪い返すことを考えていると伝えた。
 900分、リー・ハンソンは息子のピーターからの二度目の電話を受けた。
 「だんだん悪くなっていくよ、父さん。スチュワーデスが刺された。犯人たちはナイフとメースを持っている。爆弾を持 っているとも言っている。機内はとてもひどい状態だ。乗客は吐いたり、気分が悪くなっている。飛行機はギクシャク と飛んでいる。正規のパイロットが操縦しているとは思えないよ。どんどん降下しているようだ。犯人たちはシカゴか どこかのビルに突っ込む事を考えているらしい。父さん、でも心配しないで。もしそうなっても一瞬の事だよ。神様。 神様」
 電話は突然切れた。切れる直前、リー・ハンソンは女性の叫び声を聞いた。彼はテレビのスイッチを回した。ルイザ・スウィーニーも彼女の家で同じことをした。2人ともテレビで2機目がワールド・トレードセンターに激突するのを見た。
  9311秒、ユナイテッド航空175便はワールド・トレードセンターの南タワーに激突した。すべての搭乗者は、タワー内の数知れぬ人々と共に一瞬にして殺された。
アメリカン航空77便のハイジャック
 アメリカン航空77便ロサンゼルス行は、ワシントン・ダレス空港を810分出発の予定だった。機種はボーイング757、チャールス・F.・Z.・バーリンガム機長、デイビッド・チャールボイス副操縦士によって操縦されていた。客室乗務員は4名。911日の乗客は[ハイジャック犯五名を含み]58った。
 アメリカン77便は809分ゲートを離れ、離陸は820分だった。846分に機は所定の高度35,000フィートに達した。機内サービスが始まっていたと思われる。851分、アメリカン77便は無線通信による最後の通常の交信を行なった。ハイジャックは851分から854分の間に始まった。アメリカン11便およびユナイテッド175便と同様、ハイジャック犯はナイフを使い(乗客1名からの報告)、乗客全員とおそらく乗員も機体後部に移動させた(客室乗務員1名、乗客1名の報告)。前述のフライトと異なり、乗客によれば77便の犯人はカッターナイフを持っていた。最後に、飛行機はハイジャックされているとのアナウンスが「パイロット」によって行なわれたと1人の乗客は報告した。また当初ファーストクラスにいた人の証言者も、刺されたものは誰もおらず、爆弾や「メース」による脅迫も無かったと言った。
 854分、機は所定のコースを外れて、機首を南に向けた。2分後、トランスポンダー(transponder)[自動応答装置]が切られ、一次レーダも機を見失った。インディアナポリスの航空管制センターは繰り返し接触を試みたがうまくゆかなかった。アメリカン航空の運行係も同様だった。
 900分、アメリカン航空の副社長ジェラード・アーピーはアメリカン77便との交信が失われたことを知った。これはアメリカン航空にとって、2機目の災難だった。彼は、まだ離陸していない北東部の全アメリカン航空機に対し、地上に留まるよう命じた。910分少し前、アメリカン航空首脳部は、ワールド・トレードセンターに衝突した2機目はハイジャックされた77便に違いないと結論した。[これは誤認だった。訳註]ユナイッテッド航空の一便も不明と知った後、アメリカン航空は地上待機命令を全国に拡大した。
 912分、乗客のレニー・メイはラスベガスにいる彼女の母親ナンシー・メイに電話をした。彼女はフライトが6人の犯人にハイジャックされ、乗客は機体後方に移されていると言った。彼女は母親にアメリカン航空への警告を依頼した。ナンシー・メイとその夫は直ちにそうした。
 916分から26分の間に、バーバラ・オルソンは夫のテッド・オルソンに電話をした。彼は合衆国の訴務次長(*)だった。彼女はフライトがハイジャックされており、犯人たちの武器がナイフとカッターナイフであると告げた。さらに、ハイジャック犯たちは彼女が電話していることに気づいていないこと、乗客を機内後方に移していることを述べた。会話は約1分で切れた。オルソン訴務次長は、ジョン・アシュクロフト司法長官に連絡を試みたがうまくゆかなかった。     (*)司法長官の下で、政府を代表して働く。(訳註)
 最初の電話の直後、バーバラ・オルソンは再び夫に電話し、パイロットがフライトはハイジャックされていると放送したと告げた。そして夫に機長にどうしろと言ったら良いかを尋ねた。テッド・オルソンは彼女に機の位置を尋ねた。彼女は、飛行機は家々の上を飛んでいると答えた。他の乗客が彼女に北東方向に飛んでいると教えた。訴務次長は彼の妻に2機が先にハイジャックされ、建物に衝突したことを告げた。彼女はパニックの症状は示さず、さしせまった衝突への懸念も示さなかった。2回目の電話はここで切れた。  
 929分、アメリカン77便の自動操縦装置(autopilot)は停止された;機は高度7,000フィート、ペンタゴンの西約38マイルにあった。932分にダレス空港空域レーダが「管制空域の東に向かって高速度で飛ぶ、一次レーダの標的を視認した」。後にこれは77便だった事が確かめられた。
 934分、ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港は、シークレット・サービスに未確認の航空機がホワイトハウスに向っていると警告した。アメリカン77便はペンタゴンの西南西5マイルにあって、330度の急旋回を開始した。旋回後、ペンタゴンとワシントンのダウンタウンを目指して、2,200フィート上空から降下し始めた。ハイジャック犯のパイロットは、スロットル・レバーを最大推力にしてペンタゴンに急降下した。
 93746秒、アメリカン航空77便は、時速530マイルの速度でペンタゴンに突入した。搭乗者のすべてと、建物内の多数の民間人と軍人が殺された。
 ユナイテッド93便の闘い 
 午前842分、ユナイテッド航空93便はニューアーク(ニュージャージー)リバティー国際空港をサンフランシスコに向け離陸した。この飛行機はジェイソン・ダール機長、リロイ・オマー副操縦士によって操縦されていた。客室乗務員は5名だった。乗客はハイジャック犯[4名]を含む37名が搭乗していた。ゲート出発予定は800分だったが、典型的なニューアーク空港の朝の混雑でボーイング757の離陸は遅れていた。 
 ハイジャック犯たちは乗っ取り機の出発時刻が745分(アメリカン11便),8時00分(ユナイテッド175便,93便), 810分(アメリカン77便) となるようにフライト・スケジュールを組んでいた。3機は彼らが計画した出発時刻の10ないし15分以内に離陸している。これに対しユナイテッド93便は、ゲート離脱後約15分で離陸するはずだったが、実際に飛び立ったのは842分で、25分以上の遅れだった。
 ユナイテッド93便がニューアーク空港を出発した時、乗員たちはアメリカン11便のハイジャックに気付いていなかった。900分頃、連邦航空局(FAA)、アメリカン航空およびユナイテッド航空各社は、明らかな同時多発ハイジャックの発生という、信じ難いような認識に直面しつつあった。903分、彼らはさらにもう1機がワールド・トレードセンターに激突したことを知るだろう。この時点では、FAAと航空各社の危機管理マネジャーは、まだ他の飛行機に警告しようとはしなかった。とはいえ、ボストン管制センターは、アメリカン11便のハイジャック犯パイロットが、825分直前に発したメッセージに「我々は数機を確保している」との文言が含まれていることを認識していた。
 この日、FAAも、航空会社の誰も、同時ハイジャックを経験したものはいなかった。それは合衆国ではもちろんのこと、世界的にも三十年以上起きた事がなかったNote.66。同時ハイジャックのニュースは、FAAと航空各社内に浸透していったが、飛行中の各機に対して警告が必要だということを、彼らの指導部が思い浮かべたようには見うけられない。
 ユナイテッド175便は842分から46分の間にハイジャックされ、851分以後それが認識されはじめた。アメリカン77便は 851分から 54分の間にハイジャックされた。9時までには、FAAと航空各社の担当者は、犯人たちは複数の飛行機を狙っていることを理解し始めた。アメリカン航空は905分から10分の間に国内全機の地上待機を指令し、ユナイテッド航空もこれに続いた。最初の2機のハイジャック機を追跡していたFAAボストン・センターの管制官は、907分、ハーンドン指令センターに「飛行中の航空機にコックピットの安全性を高めるメッセージを送ってほしい」と要請した。ハーンドン指令センターがそのようにした証拠は無い。ボストン・センターは直ちに危険性のある他の航空機の検討を始めた。大陸横断空路のデルタ1989便が懸念されたが、実際にはハイジャックされていなかった。919分、FAAニューイングランド地区オフイスはハーンドン指令センターを呼び出し、クリ-ブランド・ センターが、デルタ1989便にコックピットの追加の警戒を忠告するよう求めた。
 FAAの数人の航空管制職員は、航空会社に飛行機の安全問題について警告するのは航空会社の責任だと我々に述べた。また、あるFAAの上級航空管制監督官(manager)は、パイロットに何を話すかを航空会社に指示するのは、明らかにFAAの仕事ではないと述べた。このような発言は、民間航空の安全と保安に対するFAAの責任を的確に認識したものとは思えない。
 航空会社もまた責任を負う。彼らはハイジャックに関するFAAからの重大な情報を得る事が出来ない状況下で、他の航空機についての増大する情報、その多くは誤った情報に直面した。だがアメリカン航空が911日に、コックピットに警報を送ったという形跡は全くない。ユナイテッド航空の飛行中の航空機に対する防護行動の最初の明確な指示は、919分までなかった。この時、ユナイテッドの運航管理者エド・バリンジャーは、16機の大陸横断便に対して警告を始めた。「コックピットへの侵入に注意せよ。2機がワールド・トレードセンターに突入した」。この警告を受けた1機はユナイテッド93便だった。バリンジャーはユナイテッド175便を含む他の便にも責任があったので、この警告は923分までユナイテッド93便に送信されなかった。
 どこから見ても、93便の大陸横断の最初の46分間の飛行は規定通り進んでいた。飛行機からの無線通信は正常で、飛行方向、速度、高度は計画通りだった。924分、ユナイテッド航空のバリンジャーからユナイテッド93便への警告は、コックピットで受信された。2分後の926分、機長ジェイソン・ダールは困惑した様子で応じている。「エド、最新のメッセージを確認してくれ ジェイソン」。
 928分、ハイジャック犯達がコックピットを襲った。オハイオ州東部を高度35,000フィートで飛行中だった機は突然700フィート降下した。降下中の11秒間にFAAのクリーブランド航空管制センターは、機からの二度にわたる無線通信の第1信を聞いた。その初めのものは機長または副操縦士のもので、コックピット内で争う音のなかに「メイデー」[国際無線救助信号]を宣言するのが聞き取れた。35秒後の第二の送信では、争いはまだ続いていた。機長あるいは副操縦士が叫ぶのが聞かれた。「ここから出ろ― ここから出ろ―出ろ」。
 この朝、911日のユナイテッド93便の乗客は僅かに37 名―33名に加えハイジャック犯4名であった。これは2001年夏の火曜日の朝の便としては平均以下だった。だがハイジャック犯が犯行を容易にするために、乗客の人数を操作したり、あるいは余分のチケットを買ったなどの証拠はない。
 9/11で他の3便をハイジャックしたテロリストたちは、5人で1チームだった。彼らは離陸後30分以内にコックピットの占拠を始めている。しかし、ユナイテッド93便の場合は離陸後46分になっている。犯人はただの4名だった。この便に回されるはずだった工作員モハメド・アル・ハタニは8月、フロリダのオーランド国際空港で移民検査官に怪しいと睨まれ、入国を拒否されていた。
  乗客の数名が犯人は3名で、4名ではないと言っている事から、犯人の1人はフライトの最初からコックピットの補助席を使っていたのではないかと疑うものもいる。FAAの規則では、証明書類を持つ保証された人物がこのシートを使うことを認めている。普通は運航会社の乗員か、FAAの職員である。だがハイジャック犯または誰かがその席を使っていたと言う証拠は得られていない。犯人は全員ファーストクラスを予約し、彼等はその席を使ったと見られる。操縦訓練を受けたパイロット役のジャラーは、コックピット占拠の時は席に残り、操縦席が占拠されるまで人目につかなかった、そしてコックピットに入ってしまうとその姿は乗客の目に触れなかった、という可能性は十分にある。
 932分、ハイジャック犯、多分ジャラーが93便の乗客に次のアナウンスを試みた。「レディース アンド ジェントルメン、こちらは機長。どうか着席していてください。我々は爆弾を積んでいます。だからご着席を」。修復・再生されたフライトデータは、ジャラーが自動操縦装置によって旋回し、機首を東に向けた事を示している。 
 コックピットのボイスレコーダは、女性、多分客室乗務員がコックピットに拉致され、抵抗された犯人が彼女を殺したか、少なくとも沈黙させた様子を記録している。
 その直後から、多数の乗員、乗客がGTE航空電話や携帯電話により、次々と電話連絡を始めた。地上の家族、友人、同僚などとのこれらの電話はフライトの最後まで続けられ、地上の人々に直接の証言を残した。乗客も他の2機がワールド・トレードセンターに突入したニュースを含む重大な情報を知ることが出来た。
 939分、FAAのクリーブランド航空路管制センターは2度目の送信を耳にした。そこには、爆弾を搭載している、機は空港に戻りつつある、着席しているように、などのアナウンスが含まれていた。アメリカン11便,アメリカン77便の場合と同様、これは乗客をだまそうとしたものだが、どうやら乗客たちはこのアナウンスを聞いていないらしい。ジャラーもアタと同じように、無線や機内放送の操作を知らなかったようだ。我々の知る範囲では、犯人の中で実機の操縦経験者はいなかった。
 機内からの連絡者の少なくとも二人によれば、犯人は乗客の通話を知っていたが、気にしていなかったようだ。ジャラーがワールド・トレードセンター襲撃の成功を知っていたことは十分有り得る。彼はそれを、ユナイテッド航空が93便を含む大陸横断便に送った通報 ―コックピットの警戒指示とニューヨークの攻撃について― から知ることが出来た。しかし、その通知が無かったとしても、彼はワールド・トレードセンターの攻撃を知っていたと思われる。それは93便のニューアーク空港出発が遅れたことによる。もしジャラーが乗客の電話を知っていたとしても、彼らがニューヨークで何が起きたかを知ることによって、ジャラーの試みを防げるような事態が起きるとは考えてもいなかっただろう。
  少なくとも10名の乗客と2名の乗務員が、家族、友人、同僚その他の地上の人々と重大な情報を分かち合っていた。彼らは全員ハイジャックされたことを知っていた。そして犯人がナイフを振り回している事、また爆弾もあると言っていることを伝えた。ハイジャック犯たちは赤いバンダナを巻き、乗客を機の後部に追いやったということも。
  通報者達は、乗客の人が刺され、さらに二人が傷ついて、あるいはすでに死んで床に横たわっており、機長と副操縦士と思われると伝えた。通報者の一人は客室乗務員も一人殺されたと報告した。
 93便の通報者の人は、ハイジャック犯は銃を持っているかもしれないと思うと報告した。しかし、他に火器についての通報はない。飛行機からの電話を受け一人が、ハイジャック犯が銃を持っているかどうかを特に問いただした。この乗客は見なかったと答えている。飛行機の墜落現場からは火器またはその残骸は発見されておらず、またコックピットのボイスレコーダにも銃の発射音または銃についての言及はない。犯人がもし銃を持っていたなら、乗客の反撃を受けたフライト最後の数分間にそれを使わなかったはずがない。
 ハイジャックされたフライトの4便のうち、3便の乗客は、犯人が爆弾を持っていると主張したと報告している。FBIによれば、どの墜落現場にも爆発物の痕跡は認められなかったという。爆弾に言及した乗客の1人は、本物ではなかったと思うと語った。ハイジャック犯が、このような不法な物質を持ってチェックポイントを通過しようとした形跡は皆無なので、爆弾は偽装であったに違いない。
 少なくとも5人の乗客との電話で、その朝早く起きたワールド・トレードセンター攻撃の情報は行きわたった。5件の電話が、乗客と生き残った乗員達が、犯人に対する反撃を決意したことを語っている。そのうちの1件によれば、テロリスト達に襲いかかって、機を奪回するかどうかを投票にかけた。彼らは決定し、実行した。
 957分、乗客たちの反撃が始まった。反乱に参加するために、数人が愛する人との電話を切り上げた。ある女性の電話は次のように終わっている。「みんなファーストクラスに走ってゆくわ。私も行かなくちゃ。バイ」
 コックピットのボイスレコーダは、ドアによって阻まれ、弱められているが、乗客の攻撃の音を記録している。後にレコーダが家族たちに公開された時、何人かの家族は、騒音の中に彼らの愛する人の声を聞くことが出来た。我々には誰の声かは特定できない。乗客の襲撃は続いた。
 これに対してジャラーは機を直ちに左右に振りはじめ、乗客のバランスを崩そうとした。95857秒、ジャラーはコックピットにいる他のハイジャック犯にドアをブロックするよう命じ、機をさらに鋭く左右に振り続けたが、襲撃は続いた。95952秒、ジャラーは戦法を変え、今度は機首を上下に振りはじめた。レコーダは激しい打撃音や破壊音、叫び声、グラスや皿の壊れる音を捉えている。10003秒、ジャラーは機を安定させた。 
 その5秒後にジャラーは尋ねた。「もうこれまでか? もう終わりにして良いか?」他のハイジャック犯は答えた。「いや、まだだ。一人残らず来たとき、終わりにしよう」。コックピットの外では戦いの音が続いていた。ジャラーはふたたび機首の上下動を始めた。100026秒、背後にいた乗客が叫んだ。「コックピットに突っ込もう。さもなきゃ、みんな死ぬぞ」。16秒後に1人の乗客が叫んだ。「さあ、やろう!それ!」。100100秒、ジャラーは激しい操作をやめて言った。「アッラーは偉大なり!アッラーは偉大なり!」それから彼は他のハイジャック犯に尋ねた。「もういいか? 墜落させるか?」それに仲間が答えた。「ああ。終わりにしよう。落っことせ!」
 コックピットの外では、乗客たちの襲撃が続いていた。100223秒、ハイジャック犯の一人が叫んだ。「下げろ! 下げろ!」犯人たちは、なお機を制御していたが、何秒か後には乗客に制圧されると判断したに違いない。飛行機は機首を下に向けた。操縦桿は激しく右に回され、飛行機はくるりとひっくり返った。犯人の一人が叫びだした。「アッラーは偉大なり!  アッラーは偉大なり! 」乗客たちの反撃の音を記録しながら、機はペンシルバニア州シャンクスビルの空き地に鋤のように突込んだ。時速580マイル、ワシントンD.C.から飛行機で20分の地点だった。
 ジャラーの目的は、彼の飛行機をアメリカ共和国のシンボル、議事堂かホワイトハウスに激突させることだった。だが勇敢で丸腰のユナイテッド93便の乗客たちに打ち負かされた。 

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1・2 俄か仕立ての本土防衛策 [原報p.14
FAANORAD                                             
 911日、空の防衛は、二つの連邦官庁「連邦航空局:Federal Aviation AdministrationFAA」と「北米防空司令部:North American Aerospace Defense CommandNORAD」の密接な連携にゆだねられていた。合衆国の航空交通管制が巻きこまれ、FAAと軍の協力が必要となった最新のハイジャック事件は1993年に起きたNote 90。それから8年後、二つの組織がどのように協力しあったかを知るため、9/11の朝、彼らの任務、指揮・管理方式および業務関係がどのようであったかを再検討しよう。                                             


   FAA管理空域
      (
北東部4管制センター




       NORAD担当空域
                      

    連邦航空局(FAA)の任務と構成 . 2001911日の朝も、FAAは民間航空の安全とセキュリティーの管理を法律により委嘱されていた。航空管制官の視点からすると、それは飛行中の航空機を安全な間隔に維持することを意味していた。
 FAA22の「空路交通管制センター」(Air Route Traffic Control Center)[以下、管制センター]では、多くの管制官が働いている。彼らは地域のオフイスにグループ分けされ、バージニア州 ハーンドンにある「国家航空交通管制システム指令センター」(the National Air Traffic Control System Command Center)[以下「指令センター」]と密接に協力している。指令センターでは、日々全空域の航空機の流れを監視している。FAA本部は「国家空域システム」の管理に最終的に責任を負っている。FAA本部の「運用センター」は、事故やハイジャックを含む事件の報告を受け付けている。
  FAAの各管制センターは、情報を受け取り、しばしば個別に管制を決定できる。9/11では4機のハイジャック機は、ボストン、ニューヨーク、クリーブランドおよびインディアナポリスの4か所のセンターで監視されていた。したがって、各センターはシステムを超えて進行している事態を部分的には知っていた。しかし、ボストンセンターが把握していることを、ニューヨーク、クリーブランド、およびインディアナポリスの各センターが知っている必要はなく、その点に関してはハーンドンの指令センターやワシントンのFAA本部も同様だった。
 管制官は911日にハイジャックされた4機を、主として、各機が発信するトランスポンダー[自動応答装置]の信号電波で追跡していた。10,000フィート以上を飛行するすべての航空機は、飛行中トランスポンダーから固有の電波を発信することを義務付けられていた。
 9/11当日、テロリスト達は4機のハイジャック機のうち、3機のトランスポンダーを止めた。トランスポンダーを止められても、困難ではあったが一次レーダの反射により飛行機を追跡する事はできた。しかし、トランスポンダーのデータとは異なり、一次レーダの反射では、便の特定ができず、高度も判らなかった。管制官たちはトランスポンダーの信号に強く依存しており、普通、一次レーダ反射像をスコープ上に表示することはなかった。しかし、設定を変更して一次レーダの反射像をスコープ上に表示することは可能であり、9/11当日、トランスポンダー信号が消えた3機については、これを行った。
 9/11以前には、旅客機が少しでも進路を外れたり、FAA管制官が短時間でもパイロットと無線通信による交信ができなくなるという事は聞いたことがなかった。トランスポンダーが短時間、働かなくなることは有ったが、そんなに多いことではなかった。無線通信とトランスポンダー信号との同時停止はまれな、また警戒すべき事態であり、それはシステムの破滅的な故障か墜落を意味していた。このような時、管制官のなすべきことは、まず当該航空機との接触を試み、次いで親会社への連絡もしくは近域を飛行中の他機に連絡して、当該機を正常な航路に戻すことである。これらの努力がなされ、―それには5分かそこらかかるだろうが― かつ失敗するまで、警報ベルは鳴らないであろう。
 NORADの任務と構成. NORADは、合衆国とカナダの間で1958年に設立された二国間共同司令部である。設立以来、 現在までの任務は北アメリカ空域の防衛と北米大陸の保護である。その任務は、内的・外的脅威を区別していないが、本来、旧ソ連からの脅威に対抗するために設立されたので、その業務は外部からの脅威を防ぐものと定義されるようになった。
 冷戦の終結にともない、ソ連の爆撃機による脅威が大幅に減ったので、最盛時には26有った警戒サイトは減らされた。1990年代、ペンタゴンでは、警戒サイトの完全な廃止を主張する者さえあった。これに対し、防空陣営の人たちは、従来の使命を保持するためには、台頭しつつある合衆国への「非対称の脅威」に対抗する空域の支配が重要だと主張した。ここに言う脅威とは、麻薬の密輸、「非国家または国家に支援されているテロリスト」、大量破壊兵器の急増や大陸間弾道ミサイル技術の進歩などである。
 NORADは、巡航ミサイルによる脅威が最も大きいと感じていた。1990年代後半になると、それ以外にも、テロリストが航空機を武器として使うといったさまざまな脅威も感知され、それに対する訓練が行われたが、それは確実な情報に基づくものではなかった。ほとんどの場合、大量破壊兵器の運搬に航空機が使用されることへの懸念だった。
 9/11以前には、民間旅客機の撃墜命令は「国家防衛責任者」(大統領または国防長官)から発令されるものと理解されていた。演習計画立案者は、標的となる対象機は国外から飛来すると想定し、その機の確認と迎撃機の緊急発進[スクランブル]には充分な時間があるものとしていた。テロリストが民間旅客機を合衆国内でハイジャックし、それを誘導ミサイルとして利用する ―そんなことは9/11以前のNORADにとって、全く予想外のことだった。
 このような脅威の出現にもかかわらず、9/11の時点で合衆国内の警戒サイトは7か所が残されただけだった。各サイトでは2機の戦闘機が警戒に当たっていた。NORADの司令官たちは、これでは合衆国の適正な防衛は難しいのではないかと懸念していた。
 合衆国内でNORADは三つの地域に分割されていた。911日にハイジャックされた4機は、いずれもニューヨーク州ロームに基地を持つNORADの「北東防空管区」(Northeast Air Defense Sector)(NEADSとして知られる)内にあった。あの朝、NEADSか所の警戒サイトを召集する事ができた。マサチューセッツ州ケープコッドのオーティス州兵空軍基地とバージニア州ハンプトンのラングレー空軍基地で、各サイトには21組の出動態勢にある戦闘機があった。他の施設は警戒態勢になく、機の武装と乗員の招集に時間が必要だった。 
 NEADSはフロリダ州パナマシティーの「北米大陸・合衆国 NORAD地区(CONL)(*)」本部に報告し、それは直ちにコロラド州コロラドスプリングスのNORAD本部に伝えられた。              (*) CONL: Continental U.S.NORAD Region  
組織間の協同作業.  FAANORADはハイジャックに共同で対応する議定書(protocols)を取決めていた。9/11の時点でそれは存在したが、FAANORADから軍事的支援を得るには、政府の高いレベルでの何段階もの報告と承認が必要だった。
 FAA管制官の手順書(procedure)では、ハイジャックに際し、パイロットが無線かトランスポンダー・コード「7500」―ハイジャック進行中を告げる国際信号― の「スクォーク[大騒ぎ]squawking」で管制官に知らせることになっていた。管制官はそれを監督官supervisor)に連絡し、彼は直ちにその状況を、はるばるワシントンのFAA本部まで伝達する。本部にはハイジャック対策の専任者がいる。それはFAAの民間航空安全オフイスの責任者、またはその人たちから指名された人である。
 ハイジャックが確認されると、当直中のハイジャック対策専任者が集められる。彼らはペンタゴンの「国家軍事指揮センター」(National Military Command CenterNMCC)に連絡し、軍用機が当該機の後を追い、何であれ異常があれば報告し、緊急事態には捜索援助と救援を要請する。NMCCは軍の援助提供に関して国防長官事務所の承認を得る。承認が得られると、指令がNORADの指揮系統によって下達される。
 NMCCFAAのハイジャック専門家と密接な連絡をとり、またFAA本部は軍と直接協力できるようになる。NORADはハイジャック機の追跡情報を共同運用レーダとFAAの関連する航空管制施設の双方から得る事ができる。ハイジャック機を助けるためあらゆる試みがなされるだろう。
  議定書では迎撃は考えていない。戦闘機は控えめに追尾することを想定していた。「ハイジャック機のまうしろ5マイルの位置を維持」し、そこから当該機の飛行経路を監視する任務を遂行する。
 まとめると、9/11時点におけるFAANORADのハイジャックに対する議定書は、以下の想定に基づいていた。
ハイジャック機は直ちに特定可能であり、見失うことはない。
FAANORADの指揮系統の中で問題に取り組む充分な時間がある。
ハイジャックは従来のような伝統的な方法で行なわれる。ハイジャヤック機を誘導ミサイルに変える という「自殺ハイジャック」は無いであろう。

911日朝、既存の議定書は、起きようしている事態にあらゆる点で適合していなかった。
 
アメリカン航空11便
 
FAAの認識. ボストン・センターの管制官は、早い時期にアメリカン11便の異常に気付いていた。しかし、応答が途切れたことがハイジャックのサインとは解釈していななかった。814分、所定の高度、35,000フィートに上昇せよという管制官の指示が無視されたので、管制官は高度を上げろとの指示を繰り返した。彼はパイロットを非常用周波数で呼び出した。反応が無かったにもかかわらず、彼は機と連絡を取ろうとし続けた。
 821分、アメリカン11便はトランスポンダー(自動応答装置)を切ったため、飛行機から得られる情報の質は直ちに低下した。管制官は彼の監督官に同便に重要な障害が発生したと告げたが、なおハイジャックとは考えていなかった。監督官は管制官に「無線交信のない航空機」を扱う標準手順書(standard procedure)に従うよう指示した。
 管制官はアメリカン航空会社ならAA11便と交信できるのではないかと調べてみた。AA11便の進路が変わり、別の管制空域に移動して行くのを見て、彼の心配はますます強くなった。管制官たちは直ちに管制中の飛行機をその航空路の外に出し、近くにいた飛行機にアメリカン11便を探すよう頼んだ。
 82438秒、次のメッセージがアメリカン11便から発信された。

アメリカン11:我々は数機の飛行機を確保している。ただじっとしていろ。そうすれば万事OKだ。 これから空港に引き返す。
 管制官は耳にした言葉を理解できなかった。おまけに「飛行機を確保した」の部分は聞きもらした。数秒後に再び送信があった。 

 アメリカン11誰も動くな。そうすればすべてOKだ。動けば自分と飛行機を危険にする。ただじっとしていろ。
 管制官は、そこでハイジャックだと知ったと我々に話した。彼は監督官(supervisor)に報告し、監督官は他の管制官に彼の補佐を指示した。彼はさらに機の高度を確認する努力を倍加した。管制官が最初の通信の内容を理解していなかったので、ボストン・センターの主幹(manager)は音声確認の専門家に無線交信テープを再生し、注意深く聞いて報告するよう指示した。
 825分から32分の間に、ボストン・センターの主幹は、FAAの手順書に従い、指令系統を通じてアメリカン11便はハイジャックされたと通知を始めた。828分、ボストン・センターはハーンドンの指令センターを呼び出し、アメリカン11便がハイジャックされ、ニューヨーク・ センターの管制空域に向かっているようだと通知した。
 この頃には、アメリカン11便は南に向けて劇的な方向転換を行なっていた。832分、指令センターは推定されるハイジャックについて、FAA本部の運用センターに伝えた。本部の当直者は、いま本部の安全担当者がニューイングランド地区のオフイスと、このハイジャックらしき件につて、電話会議を始めたところだと答えた。FAA本部はハイジャック時の議定書に従って手続きを取り始めたが、NMCCに戦闘機の発進要請まではしていなかった。
 ハーンドンの指令センターは、ボストン、ニューヨーク、クリーブランド各センターとの間で電話会議を開始して、ボストン・センターが目下の出来事を、他のセンターに周知させる手助けをした。
834分、ボストン センター管制官はアメリカン11便から3度目の通信を受けた。
アメリカン11誰も動くな。目下、空港に向かっている。ばかな動きをしようとするな。
これに続く数分間、管制官は南に向かうこの機の高度を確かめようと努力を続けた。
軍への通報と反応. ボストン・センターは、軍の援助を求める際、あらかじめ議定書に定められた一連の連絡手順を踏んではいなかった。FAA内の[正式の]通知に加え、834分、自主的にFAAのケープコッド施設を通じて軍と接触していた。また既に廃止されていたことを知らずに、アトランティック・シティーの警戒サイトとも接触しようとした。
 83752秒、北東防空管区(NEADS)と連絡が取れた。これがアメリカン11便のハイジャックについて、軍が受けた最初の通報だった。
FAAハイ、こちらボストン管制センターTMU(*)(交通管理ユニット)問題が生じた。ハイジ ャヤック機がある。
  ニューヨークに向かっている。我々は君らの手助けが必要だ。
F16戦闘機か何かでスクランブルしてほしい。助けてくれ。  (*)Traffic Management Unit

NEADS本当の話か?演習か?
FAA演習ではない。テストでもない。
 NEADSは、マサチューセッツ州ファルモスのオーティス空軍基地にあるF15警戒機2機に臨戦配置命じた。同基地はニューヨークから153マイルにある。この電話によりアメリカ空域の防衛が開始された。
 NEADSでは、ハイジャック情報はただちに戦闘指揮官Battle Commanderのロバート・マー大佐へ伝えられた。オーティス基地戦闘機の臨戦配置を指令後、マー大佐は第一空軍兼北米大陸・合衆国NORAD地区司令官であるラリー・アーノルド少将(Major General)に電話をした。マー大佐はオーティス基地の戦闘機の出動の正式許可を求めた。アーノルド司令官は「行け。スクランブルしろ。許可はあとで取る」と答えたと後に回想している。それから少将はNORAD本部に電話で報告した。
 846分、2機のF-15戦闘機はオーティス空軍基地を緊急発進した。しかしNEADSは警戒戦闘機をどこに向かわせれば良いのかを知らなかった。戦闘機に指令する士官は更なる情報を要求した。「彼らをどこに向けてスクランブルさせたらいいのか分らない。方向と目的地を指示してほしい」ハイジャック犯がトランスポンダーのスイッチを切ったため、続く数分間、NEADSの担当者は一次レーダの反射像をレーダスコープ上に探していた。846分、アメリカン11便は北タワーに衝突した。NEADの担当者がなお機影を見つけようとしていた850分すぎ、1機がワールド・トレードセンターに衝突したとの知らせがもたらされた。
 レーダのデータによれば、オーティス基地の戦闘機は853分には飛行中だった。目標を持たない2機は、ロングアイランド沖の空軍管理空域に向かった。
 ニューヨークの過密な空域を避けるため、また何をすればよいかが不明だったため、戦闘機は軍の管理空域まで引き下がり、「必要あるまで待機」の状態に入った。99分から913分の間、彼らはそこで待機状態にあった。
 要約すると、NEADは北タワーへの衝突9分前にハイジャックの警報を受けていた。衝突前9分の警告は、この日のハイジャック4機の衝突前に軍の受けた警告の中で、最も多いものだった。

 
ユナイテッド航空175便
FAAの認識. ユナイテッド航空175便からの最後の交信は、思い出すさえ寒気がするものだった。 840分、FAAニューヨーク・センターの管制官はアメリカン11便についての情報を探していた。842分頃、同センターの空域に入った直後のユナイテッド175便のパイロットが次のような通信で割り込んできた。
    UAL175ニューヨーク? こちらユナイテッド175、緊急通報。
FAAユナイテッド175、どうぞ。
UAL175そちらのセンターに入るのを待っていた。ボストンを出発する時、奇妙な交信を聞いたんだ。誰かがマイクのスイッチを入れて、みんなに自分の席についているように言っていた。
FAA了解。上に伝える。
 数分後、ユナイテッド175は管制の了解なく南西に進路を変えた。847分、アメリカン11便の衝突数秒後、ユナイテッド175便はトランスポンダー・コードを変更し、さらに再び変更した。この変更は数分間気づかれなかった。これはニューヨーク・センターの管制官がアメリカン11便とユナイテッド175便双方を割り当てられていたためである。管制官はアメリカン11便のハイジャックを知っており、846分の機影消失後もその発見に集中していた。
 848分、管制官がまだアメリカン11便の位置を探していた時、ニューヨーク・センターの主幹は、アメリカン11便について、指令センターとの電話会議に次に様な報告を行った。
 ニューヨーク・センター:主幹OK、こちらニューヨーク・センター。我々はその飛行機を監視している。私はアメリカン航空とも会話した。彼らはスチュワーデスの一人が刺され、コックピットにいる誰かが飛行機を操縦しているらしいと言っている。これが今のところ彼らが持っているすべての情報です。 
 ニューヨーク・センターの管制官も主幹も、アメリカン11便がすでに衝突していた事を知らなかった。
 851分、管制官はユナイテッド175便のトランスポンダーに変更が有ったことに気付き、機と連絡を試みたが応答はなかった。852分以降、乗員との連絡を繰り返し試みたが、依然として応答がなかった。管制官は無線装置を点検したのち、853分、他の管制官に「例の機が見つからないんだ。ハイジャックされたかもしれない」と告げた。
 近域を飛ぶ別の民間機が「近距離路線の飛行機がワールド・トレードセンターに衝突したそうだ」と無線通信によって報告した。管制官は、続く数分を未確認の飛行機 (ユナイテッド175便と思われていた)の邪魔にならないよう、自分のスコープ内にいる他の機を、仲間の管制官に引き継いだ。何分かを費やしたが、その飛行機は南西から向きを変え、次は北東、ニューヨーク方向へと向かって行った。
 855分頃、担当の管制官はニューヨーク・センターのに「ユナイテッド175便もハイジャックされたと信じられます」と報告した。マネジャーは地区マネジャーに報告を試みたが、目下(アメリカン11便と思われる)ハイジャック機について討議中で、邪魔しないでくれ言われた。
 858分、ユナイテッド175便を探していたニューヨーク・センターの管制官は他の管制官に「ハイジャックされたのは2機かもしれない」と話した。
 901分から902分の間に、ニューヨーク・センターの主幹は、ハーンドンの指令センターにこう語った。
 ニューヨーク・センター:主幹ここでは複数の事件が同時に起こっています。これは、どんどん巨大化している     ようです。軍を引き入れる必要があります。我々は何かに巻き込まれています。同じ状況にある他の飛行機もあ    るかもしれません。 
  ニューヨーク・センターのいう「他の飛行機」とはユナイテッド175便だった。この会話は、2度目の激突の前に、2機目のハイジャックがあったということをFAA本部もしくはハーンドン指令センターになされた唯一の通告だった事が立証されている。
 指令センターが901分、この「他の飛行機」について報告を受けている時、ニューヨーク・センターはニューヨークのターミナル接近管制所(terminal appproach control)に連絡し、ユナイテッド175便の位置確認に協力を求めている。
ターミナル:海岸沿いに飛んでいるのが1機いるが、どこか小さな飛行場に降りるんじゃないかと思う。
センター:ちょっと待ってくれ。そいつをスコープ画面に出そうとしてるんだ。
ターミナル:見つけた。丁度9,5009,000[フィート]の間にいる。
センター:誰か判っているのか。
ターミナル:今、今は判らない。調べている。
センター902分):了解。ちょっと待てよ。他の機が入ってきているようだ。

 管制官はその機が急速に降下しているのを見守った。レーダのデータはロワー[南部]マンハッタンで途絶えた。93分、ユナイテッド175便は[WTC]南タワーに激突した。
  一方、ボストン・センターの主幹は、最初のハイジャック犯によるアメリカン11便からの発信を解読したと報告した。
 ボストン・センター:ヘイ、まだいるかい?
ニューイングランド地区:ハイ。私だ。
ボストン・センター:テープによると、そいつは「数機の飛行機を確保している」と言っているようだ。アクセント          のせいか、他にもう1機あるのか良く判らない。再確認してすぐに連絡するよ。 OK
ニューイングランド地区:有難う。
誰かわからない女性の声:何を確保したって?
ボストン・センター:飛行機だよ。複数形。
ボストン・センター:そう聞こえる。ニューヨークとも話したんだが、もう1機がワールド・トレードセンターに向かっているのがいる。
ニューイングランド地区:別の飛行機がいるのか?
ボストン・センター:2機目がちょうどいまトレードセンターに衝突した。
ニューイングランド地区:OK.了解。すぐ軍に警報を出そう。
  ボストン・センターは、ニューイングランド地区のすべての飛行場に、管理下にある全航空機の出発を停止するよう勧告した。905分、ボストン・センターはFAA指令センターとニューイングランド地区の双方に対し、アメリカン11便のハイジャック犯が「数機を確保した」と複数形で言っていることを明言した。それと同時に、ニューヨーク・センターは 「ATCゼロ」を宣言した。これは次の通告があるまで、ニューヨーク・センターの管制空域内ですべての航空機の離発着・移動を許可しないと言うことである。
 2機目の衝突の数分後、ボストン・センターは管制官たちに、空域内の全航空機にニューヨークでの出来事を知らせ、コックピットの安全性を高めるよう勧告することを指示した。同時にハーンドンの指令センターにも同様の措置を全国で実施するよう依頼した。だが指令センターがこの要望に対し何らかの対応を行なったか、あるいはコックピットの保全について何らかの警告を出したかについて、我々はいかなる証拠も発見できなかった。
軍への通報と反応  北米防空司令部:NORAD2機目のハイジャック機、ユナイテッド175便について知ったのは、ニューヨーク・センターから北東防空管区:NEADへの903分の電話連絡だった。この知らせが入ったのは、飛行機が南タワーに衝突したのとほぼ同じ時刻だった。
 908分、NEADS当直戦隊指揮官mission crew commanderMCC )はワールド・ トレードセンターでの2度目の爆発を知り、マンハッタンから離れた軍の管理空域にいた戦闘機に対して待機を解除することを決定した。
MCC,NEADS: これは我々が多分やる必要があると思っていたことだ。FAAに話さなければ。もしこんな 事態がこの先まだ続くとすれば、戦闘機をマンハッタン上空まで持って行く。それが今、一番良いこ となんだ。 そしてFAAと協力する。もし俺たちの知らないことがまだそっちで起こっているなら、 終わらせようぜ。戦闘機をマンハッタンまで飛ばそう。少なくとも何か出来るぞ。 
 FAAは空域をカラにしていた。913分、レーダの データは、オーティス基地の戦闘機がニューヨーク市から115マイル彼方にいたことを示している。彼らは待機状態を脱して、進路をまっすぐマンハッタンに向けた。925分彼らは到着し、市街上空で戦闘空中哨戒(CAP)に入った。
 オーティス基地機は発進後、まず軍管理空域で、次いでニューヨークに来るまでに多量の燃料を消費してしまったので、戦闘指揮官battle commander)たちは再給油の必要性を懸念していた。またNEADSは援護機として、バージニアのラングレー空軍基地からニューヨークへの警戒戦闘機の緊急発進を考えていた。909分、ラングレーの戦闘機は基地で戦闘配置についていた。NORADは、他にもハイジャックされている飛行機があるという情報を何も得ていなかった。

アメリカン航空77便
 FAAの認識. 854分、アメリカン77便はその飛行計画から僅かに南にそれ始めた。その2分後、同機を管制していたインディアナポリス・センターのレーダから完全に消えた。
 アメリカン77便を追跡していた管制官は、機が南西に転じたことに気付いた後、データが消えるのを見たと我々に語った。管制官は一次レーダの反射を探した。彼は機が旋回し始めた南西方向に沿って航空路と空域を探した。一次反射像は示されなかった。彼は無線通信による交信を試みた。最初は機と直接、ついで航空会社を通じて呼びかけたが、返答はなかった。この時点でインディアナポリスの管制官はニューヨークの状況について何も知らなかった。また、他の飛行機がハイジャックされていたことも知らなかった。彼はアメリカン機が、電気的または機械的な、あるいは両方の重大な故障を起こし、画像が消えてしまったと信じていた。
 9時すこし過ぎ、インディアナポリス・センターはアメリカン77便が見失われ、墜落した可能性があると関係先に通知し始めた。908分、インディアナポリス・センターはラングレー空軍基地の捜索救助隊に墜落機の捜索を依頼した。センターはまた西バージニア州警察にも連絡し、飛行機の墜落情報を受けていないか照会した。機との接触が失われたことは909分にFAAの地区センターに報告され、そこから924FAA本部に伝えられた。
 920分、インディアナポリス・センターは他にハイジャックされた機があることを知り、アメリカン77便が墜落したという最初の推定を疑い始めた。インディアナポリスのマネジャーとハーンドンの指令センターの間で行なわれた討論が、FAAの他の地上施設にもアメリカン77の失踪を知らせるきっかけとなった。921分、指令センターとFAAの地上施設およびアメリカン航空によるアメリカン77便の捜索が開始された。ハイジャックの懸念も生じていた。925分、指令センターはFAA本部に状況を知らせた。
 一次レーダの反射波によって、アメリカン77便を発見できなかったため、この問題は、我々によってさらに調査されることとなった。9/11以後行われたレーダの復元によって、FAAのレーダ装置はトランスポンダーのスイッチが切られた856分から、同機の追跡を行っていた事が明らかになった。しかし、856分から95分までの間の813秒間、アメリカン77便の一次レーダの情報はインディアナポリス・センターの管制官に示されなかった。その理由は技術的なもので、レーダ情報のソフトウエアによる処理方法に起因していた。またアメリカン77の行程を追跡しきれない、一次レーダの狭いカバー範囲も一因だった。
  905分、レーダの再起動により、アメリカン77便はインディアナポリスセンターの一次レーダ標的として画面上に再び表示された。最後に認められた位置の東方だった。それは同センターの管制空域内にさらに6分間留まった後、910分、ワシントン・センターの管制空域の西域に入った。インディアナポリス・センターは同機の捜索を続けていた。アメリカン77便に担当責任があったインディアナポリスの2人の主幹と管制官は、飛行機がその時、機首を向けていた東ではなく、フライトの計画進路に沿って西および西南を探していた。主幹は、インディアナポリスの他の管制官たちに、彼らの一次レーダの領域を切り替え、アメリカン77の捜索に協力するよう指示することはしなかった。
  要するに、インディアナポリス・センターはアメリカン77便の方向転換を見なかった。それが一次レーダの領域に再出現した時、管制官たちは、飛行機は墜落したか、西へ向かっていると勘違いして機を探すのを止めてしまった。指令センターはアメリカン77が見失われたことを知っていたが、指令センターもFAA本部も周辺のセンターに対して、アメリカン77の緊急捜索通報を出さなかった。アメリカン77は発見される事なく、機首を東、ワシントンD.C.に向けて36分間飛び続けた。
 925分、FAAハーンドンの指令センターとFAA本部は、2機の飛行機がワールド・トレードセンターに衝突したことを知った。彼らは[この衝突により]アメリカン77便が失われたと考えた(*)。ボストン センターとニューイングランド地区のFAA職員の少なくとも何人かは、「我々は数機の飛行機を確保している」とアメリカン11便のハイジャック犯が言ったことを知っていた。他の飛行機の安全に対する懸念が高まり始めた。ハーンドン指令センターの主任は、FAA本部に「全国地上待機」を指示してはどうかとかと尋ねた。これについて、本部では幹部の検討が続いていたが、925分、指令センターはそれを指示した。   (*)この判断は誤りだった。(訳註)
 指令センターはなおアメリカン77便を探していた。921分、ワシントンのダレス空港管制施設に対し捜索を助言した。ダレスでは管制官達に一次レーダの標的を探すよう促した。9時32分、彼らは発見した。数人の管制官が「高速で東に向かう一次レーダの標的を目撃」し、レーガン・ナショナル空港に告げた。レーガン、ダレス両空港のFAA職員は、シークレット・サービスに知らせた。飛行機の便名、機種はなお不明だった。
 レーガン空港の管制官は、ちょうどミネソタに向けて離陸しようとしていた非武装の州兵空軍のC-130H輸送機に、疑わしい飛行機を確認し追跡するよう、無線で指示した。C-130Hのパイロットは問題の飛行機を発見し、機種をボーイング757と認定して、さらに追跡を試みた。938分、衝突の数秒後に管制塔に報告した。「その機はペンタゴンに突入した模様であります」。
軍への通報と対応.北米防空司令部:NORADはアメリカン77便の捜索について、何の連絡も受けていなかった。一方、北東防空管区:NEADSの防空部はすでに存在しないアメリカン11便についての新たな情報を受け取っていた。
921分、NEADSFAAから報告を受けた。

FAA軍ですか?こちらボストン・センター。たった今、アメリカン11便はなお飛行中で、ワシント ン に向かっているとの報告を受けました。
NEADSOK。アメリカン11便は今も飛行中?
FAAはい。
NEADSワシントンに向かっている?
FAAそれは別の、タワーに衝突したのとは明らかに別の飛行機です。以上が我々の持つ最新情報です。
NEADS了解。
FAA機のID [便名、機種など]を確認しようとしています。しかしそれはどこかに飛び去ってし まっ たようです。ニュージャージーか、またはどこか南方向です。
NEADSOK。ではアメリカン11は、ハイジャックされていない。そうだね?
FAAいえ。それはハイジャックされています。
NEADSアメリカン11はハイジャックされている?
FAAはい。
NEADSそしてワシントンに向かっている?
FAAそうです。これは3機目かも知れません。
 ここでいう「3機目」とはアメリカン77便を意味しない。この時点でFAAには混乱があった。2機がワールド・トレードセンターに衝突していた。そしてボストン・センターはワシントンにあるFAA本部から、アメリカン11はなお飛行中と聞いていた。我々は、この誤ったFAA情報の出所を突き止めることが出来なかった。
 FAAからの連絡を受けたNEADS技官(technician)は、すぐにこれを当直戦隊指揮官(MCC)に連絡し、彼は直ちにNEADS戦闘指揮官(battle ommander)に報告した。
当直戦隊指揮官、NEADS:OK.アメリカン機はまだ飛行中という事だな。11便、最初のやつだな。
 ワシントンに向かっている?
OK.すぐラングレーからスクランブルする必要があるな。それにオーテ ィスからも戦闘機を飛ばそう。見つけたらどこまでも追跡してやろう。
  923分、NEADS司令部と相談した後、当直指揮官crew commander)は命令を出した。
 OK.スクランブルをかけろ。ラングレー。ワシントン地区に向かわせろ。見つけたら追跡しろ。小癪なやつらだ」この命令は、924分ラングレー基地に送信された。レーダの記録によれば、ラングレーの戦闘機は930分には飛びたっていた。NEADSはオーティスの戦闘機をニューヨーク上空にとどめることにした。ラングレーの戦闘機は飛行方向をバルチモアに修正された。当直指揮官はその目的を、南方に向かったアメリカン11[と思われていた機]と首都の中間に、ラングレー戦闘機を配置するためだったと述べた。
 ボストン・センターにいた軍連絡士官の助言により、NEADSFAAのワシントン・センターにアメリカン11便について問い合わせた。その会話の中で、ワシントン・センターの主幹NEADSに知らせた。「我々は捜している。アメリカン77も行方不明だ」934分のことだった。これがアメリカン77便の失踪を軍にもたらした最初の知らせであり、しかも偶然によってである。もしNEADSがこの電話をしていなかったら、NEADSの防空担当者はその便が失われ、FAAが探している事すら全く知らなかったことになる。FAA本部の誰一人として、アメリカン77について軍の援助を求めようとしなかった。
 936分、FAAボストン・センターはNEADSを呼び出し、ワシントンに接近しつつある正体不明の飛行機を発見した旨の連絡を取り次いだ。
 「最新情報。ホワイトハウス南東六マイルに、一機が有視界飛行中
VFRvisual flight rules)。ホワイトハウスの南東六マイル。逸れ始めた」この驚くべき知らせにより、NEADSの当直指揮官は直ちに空域を管理下におき、ラングレー機のために航路を空けさせた。「OK.向きを変えさせる。・・・速度をあげよう・・・。彼らをホワイトハウスに向かわせる」。だが彼が愕然としたことには、戦闘機は指示された通りに北・バルチモア方面に向かってはおらず、東・大西洋上に向かっていた。「何枚窓をこわしても構わないぞ」彼は言った。
「ちくしょう!・・・
OK.やつらを引き戻せ」
 ラングレー機が北ではなく東に向かっていたのには三つの理由があった。第一に、彼らの受けたスクランブル命令には、通常の命令とは違って、目標への距離またはその位置が示されていなかった。第二に「離陸したら、速やかに民間機の空域外に出る」というフライトプランの定跡のため、ラングレー戦闘機のパイロットたちは、東(090)へ、60マイル行けと命じられたと誤解してしまった。第三に、編隊長(lead pilot)とFAA管制官が、飛行プラン'09060’の指示の方が、最初のスクランブル指令をしのぐものだと思こんだことだった。
 未確認機がホワイトハウスから数マイルにあるとのNEADSへの936分の電話の後、ラングレー基地の戦闘機は、ワシントンD.C.に向かうよう命じられた。NEADSの管制官たちは未知の一次レーダの航跡をとらえ、追跡していた。しかし、それはまるで霧のようにワシントン上空で消えていった。938分だった。93746秒、ペンタゴンがアメリカン77に衝突された時、ラングレーの戦闘機は150マイル彼方にあった。
 ペンタゴン衝突の直後、NEADSは他にもハイジャックされたとおぼしき飛行機があることを知った。実際には、その機はまったくハイジャックとは無関係だった。二度目のワールド・トレードセンター衝突の後、ボストン・センターの主幹は、2機はローガン空港[ボストン]を出発した767型大陸横断ジェット機であることを認めた。「我々は数機を確保している」という[犯人の]発言を記憶していたボストン・センターは、デルタ1989便もハイジャックされたかも知れないと思った。941分、ボストン・センターはNEADSに電話して、ローガン空港をラスベガスに向けて飛び立った767型ジェット機、デルタ1989便もハイジャックの可能性があると伝えた。NEADSFAAクリーブランド・センターに同便を監視するよう警告した。指令センターとFAA本部も同便を監視していた。この日の午前中には、ハイジャック機についての多くの誤った情報があった。アメリカン11便が南に向かっていると言うのが最初であり、デルタ1989便についてが二番目だった。
 NEADSはデルタ1989便の航跡を見失う事はなかっただけでなく、オハイオとミシガンの戦闘機にスクランブルを命じさえした。デルタ便のトランスポンダーは切られてはいなかった。NEADSはすぐに1989便がハイジャックされていないことを知ったが、同機がトレド上空で反転して東に向かい、クリーブランドに着陸するまで追尾した。しかし、別の飛行機がワシントンに向かっていた。NORADがまだ全く情報を持たない飛行機、ユナイテッド93便である。
 
ユナイテッド航空93便 
FAAの認識. 離陸から45分を経過した927分、ユナイテッド93便はクリーブランド・センターの管制官からの通信を認証した。これはFAAが同便と交わした正常な交信の最後のものである。
 1分とたたないうちに、クリーブランドの管制官と近辺を飛行していた機のパイロットたちは、不明な発生源からの悲鳴や乱闘らしい、聞きとり難い騒音の無線通信を耳にした。
 数秒後に管制官は応じた。「誰かクリーブランドを呼んだか?」これには叫び声などの2度目の送信が続いた。同センターの管制官はこの通信の発信源を確認しようとして、ユナイテッド93便がほぼ700フィート下降したことに気付いた。管制官は同機を上昇させようと何度か試みたが、機からの応答は無かった。930分、管制官が同じ周波数の他の数機に対し、叫び声を聞いたかを問いあわせたところ、数機が聞いたと答えた。
 932分、3度目の無線通信があった。「席に座っていろ。我々は爆弾を積んでいる」管制官は聞き取れたが、わざとこう答えた。「こちらクリーブランド・センター。よく判らない。もう一度ゆっくり言ってくれ」。管制官は監督官に報告した。彼は、さらに指令系統に沿って警報を上部に伝えた。934分には、ハイジャックの通報はFAA本部に届いていた。
 FAA本部はこの時点でハーンドンの指令センターと同時通話回線を設け、管理するすべてのセンターに、疑わしい飛行機についての問い合わせをするよう指示していた。指令センターの指示に応え、1分後にクリーブランド・センターは「ユナイテッド93便は爆弾を搭載しているかもしれない」と報告した。934分、指令センターはユナイテッド93便についての情報をFAA本部に伝達した。936分ころ、クリーブランド・センターはなおユナイテッド93便を追跡していると指令センターに報告し、スクランブルのための戦闘機を発信させる事を誰か軍に要求したかを特に尋ねた。クリーブランドはさらに近くの軍基地にそのように要求しようかとさえ指令センターに告げた。それに対し指令センターは、軍の出動要請は自分達より命令系統のずっと上位にいるFAA職員の決めることであり、目下その線で取り組んでいると答えた。
 934分から38分の間に、クリーブランド・センターの管制官は、ユナイテッド9340,700フィートまで上昇したことを観察し、ただちに数機の航空機をその進路外に移動させた。管制官はなおユナイテッド93便と接触を試み、パイロットにハイジャックされたかを確かめようとした。しかし、応答は無かった。
 939分、ユナイテッド93便から4度目の発信があった。
ジアド・ジャラー:えー、こちら機長です。皆さん、着席していてください。爆弾を積んでいます。飛行場に戻ると     ころです。我々の要求は(音声不明)。お静かに願います。
 管制官は応じた。「ユナイテッド93、爆弾を積んでいることは分った。どうぞ」。機からの応答は無かった。
 934分から108分の間、指令センターの施設長(マネジャー)は、次長代理Acting Deputy Administrator)のモンテ・ベルガーその他のFAA本部の幹部(executive)に、ユナイテッド93便がワシントンD.C.方面に向かっているという情報を、次々と更新しながら送り続けた。941分、クリーブランド・センターはユナイテッド93便のトランスポンダーからの信号を失った。管制官はその位置を一次レーダ上に示し、それを他の飛行機の目視情報とも照合した。そして同機が初め東へ、次いで南へ転進するのを追跡した。
  942分、指令センターはニュース報道により、1機がペンタゴンに突入した事を知った。指令センターの国家航空管制マネジャーベン・スリニーは全FAA施設に対し、すべての航空機を、最寄りの空港に着陸させるよう指示した。これは前例のない命令だった。航空管制システムはそのたぐいまれな技術を使って、飛行中の約4,500の商用機と一般民間機を無事着陸させた。
  946分、指令センターは、FAA本部に対しユナイテッド93は「ワシントンD.C.まで29分の位置」にあるとの最新情報を伝えた。
  949分、クリーブランド・センターが軍の援助について尋ねた13分後、 指令センターはFAA本部に対し、本部の誰かが軍の援助を求めるか否かを決定するべきだと進言した。
FAA本部ジェフはユナイテッド93について話し合うため連れ出されてしまった。
指令センター:えー、スクランブルについて考えなければと思わないか。
FAA本部:おー、神様、私にはわからないよ。
指令センター:誰かがこれから10分以内に決めなきゃならん事だよ。
FAA本部:うー、部屋には誰もいないんだ。
 953分、FAA本部は、航空交通業務の副局長deputy director)がモンテ・ベルガーとスクランブルについて話している所だと指令センターに知らせた。そこで指令センターは本部に対して、管制官たちがユナイテッド93の航跡をピッツバーグ地区の上空で見失ったと告げた。数秒後、指令センターは他の航空機からの目視情報による報告を受け、本部に対し、その機はジョーンズタウン北西20マイルにいると報告した。ユナイテッド93は他の飛行機によっても目撃されていた。1001分、指令センターはFAA本部に対し、ユナイテッド93が「翼を振っている」のを見た飛行機があると報告した。その機は、乗客の反撃を押さえこもうと、ハイジャック犯が努力している所を目撃していたのだ。
 ユナイテッド93便は、100311秒、ワシントンD.C.から125マイルの地点、ペンシルバニアに墜落した。正確な墜落時刻についてはいくらか論争があるが、前記時刻100311秒という時刻は、先行した国家交通安全委員会(*)の分析結果や、本委員会のスタッフが行った多くの証拠 ―レーダ、フライトデータ・レコーダ、操縦室のボイスレコーダ、赤外線衛星のデータおよび航空交通管制室との交信記録等の検証結果によっても支持される。 ()National Transportation Safety BoardNTSB
  5分後、指令センターは本部に対しこの最新情報を転送した。

指令センター:
OK, ユナイテッド93についてです。
FAA本部:どうぞ。
指令センター:あなたに報告した最後の地点、ジョーンズタウンの15マイル南方に黒煙が上がっているとの報告があります。
FAA本部:飛行機からか、地上からか?
指令センター:えー、彼らはそれを飛行機からと推定しました。
FAA本部:OK.
指令センター:地上に衝突したと、そう推定したんだな。推定しただけなんだな。
 「黒煙」を目撃したのは、27分前にアメリカン77便のペンタゴンへの突入を目撃した、州兵空軍の非武装輸送機だった。同機はミネソタへ向かう飛行を再開してユナイテッド93の墜落地点からの煙を見たのである。墜落後2分以内だった。1017分、指令センターは、ユナイテッド93便は墜落したとの結論を本部に報告した。
 軍の援助についての討議も行われたが、FAA本部は誰もユナイテッド93便について軍の援助を要請しなかったばかりか、FAA本部のどの主任も、ユナイテッド93便についての手持ちの情報を軍に伝えなかった。
 軍への通報と反応. NEADSはクリーブランド・センターに駐在する軍の連絡官から、ユナイテッド93便についての最初の電話を107分に受けた。同機がすでに墜落していることに気付かぬまま、クリーブランドは知られていた最後の経度と緯度をNEADSに通報した。NEADSが飛行機の位置を確かめられなかったのは、それがもう地中にあったからである。
 同じころ、NEADS当直戦隊指揮官[MCC]は、ワシントンD.C.上空へのラングレー戦闘機の到着を手配していた。そして標的となりそうな相手に対して[戦闘機に]出しうる指令を仕分けしていた。1010分すぎ、ユナイテッド93がワシントンに向かっていたことも、すでに墜落したことも知らずに、彼はラングレーの戦闘機にはっきりと命令した。首都上空においては射撃による排除は許可しない。不許可だ」。
("negative clearance to shoot" aircraft over the nation's capital)
 ユナイテッド
93が爆弾を積んでいると言うニュースはNEADS内で急速に広まった。防空担当者はユナイテッド93の一次レーダ反射を探し、他の戦闘機のスクランブルに備えて機の位置を確定しようと試みた。NEADSは報告のためにワシントンセンターに電話した。
NEADSよく聞いてくれ、ワシントン。
FAADC):どうぞ。
NEADSユナイテッド93だ。なにか情報はあるか。
FAAそれは落ちました。(Yeah, he's down.)
NEADS降りた?(He's down?)
 FAAそうです。
NEADSいつ着陸したんだ。確認したい。(When did he land?)
FAA着陸ではありません。(He did not land)
NEADSおー、墜落したのか? 墜落?(Oh,he's down? Down?)
FAAそうです。どこか、キャンプ・デービットの北東です。
NEADSキャンプ・デービットの北東?
FAAそれが最新の情報です。どこか正確には判りません。
  ユナイテッド93便の墜落の通知時刻は1015分だった。NEADSの防空担当者はレーダ画面上でフライトの位置を確かめる事も、追跡することもできなかった。彼らがハイジャックを知った時、それはすでに地面に衝突していた。
記録の明確化 
 9
11日の合衆国の空の防衛は、既存の演習計画や議定書に従って実施されたのではなかった。それは、ハイジャックされ行方をくらまそうとしている飛行機など扱ったことのない民間人や、商用旅客機が大量殺戮の武器に変えられることなど予期していなかった軍人によって、即応的に行われていた。のちに判明したように、NEADの防空側には最初のハイジャック機については、9分前に警告があったが、234番目の機については事前の警告は無かった。
 我々は、この日の朝の実像が、NEADSFAA施設の運営当事者の面目を汚すものだったとは思っていない。NEADS指揮官や士官たちは積極的に情報を探し求め、知り得た僅かばかりのデータをもとに、もっとも妥当な判断を行った。個々のFAAの管制官、施設主任、指令センター主任達は、管轄外の事項と思われていた全国的な警報発令の勧告、ローカル航空機の地上待機 、そして究極的には全航空機の着陸の決定など、前例のない命令を臨期応変に、かつ完璧に実施した。



                                                       四便の経路図およびタイムライン(p32,33)

 アメリカン航空 11便      ユナイテッド航空 175便 
   
 7:59 離陸
 8:14  最後の交信。正常
 8:21 トランスポンダー切断 
 8:23 AA社コックピットとの接触を試みる
 8:25 ボストンセンター、ハイジャックを認識
 8:38 ボストン・センター、NEADSにハイジャックを通告
 8:46 NEADS,AA11捜索のため、オーティス機をスクラン    ブル発進
 8:46:40 AA11,1WTC(北タワー)に突入

 8:53 オーティス戦闘機、空中警戒
 9:16 AA本社、11便のWTC衝突を認識
 9;21 ボストン・センター、NEADSにAA11はワシントンに
   向かっていると通知
 9:24 NEADS,AA11捜索のためラングレー戦闘機を
   スクランブル発進
 8:14 離陸
 8:42 最後の無線通信 
 8:42-08:46  乗っ取りと推定
 8:47 トランスポンダー信号変更
 8:52 客室乗務員、UA社にハイジャックを通知
 8:54 UA社、操縦室との接触に努力
 8:55 ニュヨーク・センター、ハイジャックされたと疑う
 9:03:11 175便、2WTC (南タワー)に 突入

 9:15  ニューヨークC.、NEADSにUA175便はWTCに突入      した2機目の飛行機だと通知
 9:20 UA社本部は、175便はWTCに突入したと認識

        アメリカン航空 77便        ユナイテッド航空 93便
   
 8:20 離陸 
 8:51 最後の定常無線交信
 8:51-54 乗っ取りと推定
 8:54 77便、認可無く南に変針
 8:56 トランスポンダー切断
 9:05 AA本社、�77便のハイジャックを認識
 
 9:25 ハーンドンの指令センター、国内全航空機の地上待機を
     指令

 9:32 ダレス[空港]レーダー、急速に飛行する飛行機を観測
     (のちにAA77と認定)
 9:34 FAA,NEADSにAA77の失踪を通知
 9:37:46 AA77, ペンタゴンに突入

10:30 AA本社、AA77のペンタゴン突入を確認
 8:42 離陸
 9:24 93便、UA社よりコックピット進入の可能性につき警告      を受ける
 9:27 最後の定常無線交信
 9:28 乗っ取りiを推定
 9:34 ハーンドンの指令センター、FAA本部にUA93のハイ      ジャックを通知
 9:36 客室乗務員、UA社にハイジャックを警告。UA社はコ     ックピットとの接触を試みる
 9:41 トランスポンダー切断
 9:57 乗客の反乱開始
10:03:11 93便、シャンクスビル(ペンシルバニア)の原野に        突入

10:07 クリーブランド・センター、NEADSにUA93のハイジャ    ックを通知
10:19 UA本社、93便のペンシルバニア墜落を認定         ワシントン・センターは、NEADSに93便のペンシルバニ    アでの墜落を通知


 実際の出来事もさることながら、それらに対する関係官庁の報告が不正確だったため、軍はハイジャック機の内の2機について、対応できる時間内に通報を受けていたかのように見え、その対応が適切だったかとの疑問を引き起こした。これらの報告には、軍が発生源からタイミング良く正確な情報を得る能力があるのかと言う疑問をそらす効果があった。おまけにこの朝、FAAはタイムリーで有効な情報を軍に提供する能力があると過大評価された。
 20035月の本委員会での一般公開証言で、NORADSの職員は、NEADSがユナイテッド93のハイジャック情報をFAAから受けたのは916分だったと言明している。この言明は正しくない。916分、ハイジャックに関する報告は無く、この時、ユナイテッド93は正常に飛行していた。
 これと同じ公開証言で、NORAD職員は、NEADS924分、アメリカン77便のハイジャック通報を受けたと言っている。この発言も正しくない。924分にNEADSが受けたのは、アメリカン11はワールド・トレードセンターに衝突しておらず、ワシントンD.C.に向かっているという[誤った]通報だった。
 彼らの証言および他の公開文書において、NORAD職員たちは、ラングレーの戦闘機はアメリカン77またはユナイテッド93、あるいは両方についての通報を受け、緊急発進したと述べている。これらの証言も同様に誤りである。これらの戦闘機は、アメリカン11が南に向かっているとの[誤った]通報によって緊急発進したのだ。このことは、NEADSの交信記録テープだけでなく、FAAの交信テープからも明らかである。さらにNEADS、北米大陸・合衆国NORAD地区司令部[CONR]およびNORADで編集された同時通信記録やその他の記録によっても明らかである。しかし、この幻の飛行機に対する対応の詳細は、公表された時系列の上でも、FAAもしくは国防総省が発した声明もしくは日程表の中で、1行も触れられていない。不正確な報告は、ラングレー機の緊急発進は実際のハイジャック機に対する合理的な反応であるとの印象を生んだ。
 事実はどうだったかというと、このスクランブルは[幻の]アメリカン11についての誤った情報により促進されたのみならず、NEADSはアメリカン77のハイジャックについて、全く通報を受けていなかった。アメリカン77が失われたことが知らされたのは、934分だった。その何分か後に、NEADSはホワイトハウス南西6マイルに未確認の飛行機がいると知らされた。その時点で初めて、すでに発進していた戦闘機はワシントンD.C.に向かったのだ。
 20035月の委員会証言が示唆しているように、軍にはアメリカン77に対応する14分の時間はなかった(*)。ワシントンへ接近する未確認の飛行機に対応する時間は、多くとも12分だったろう。しかも戦闘機は救援するには悪い位置にいた。彼らは存在しない飛行機の報告に対応し続けていた。
 
(*)アメリカン77便のペンタゴン突入は938分なので、先記のように924分にハイジャヤック通報をうけていれば、14分の時間が    有ったことになる。(訳註)
 また、ユナイテッド93便についても、軍には対応する47分の時間(*) は無かった。政府報告では軍は916分にこの便のハイジャック通報を受けたとされているが、[この時、機は正常に飛行中で]実際にハイジャックを知らされた時 [1017分]には、すでに機は墜落していた。
   (*)ユナイテッド93便の墜落は103分とされているので、先記のように916分のハイジャック通報が正しいものとすれば 47分の時間が有ったこと       になる。(訳註) 
ここで、我々は当日朝の出来事における国家指導部の役割に目を向けるとしよう。
 
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13 国家の危機管理 p.35
 846分、アメリカン航空11便がワールド・トレードセンターに衝突したとき、ホワイトハウスにいた者、あるいは大統領と共に旅行していた者は、誰一人として飛行機がハイジャックされていたことを知らなかった。ハイジャックの情報は連邦航空局:FAA内部を飛び回っていたのに、846分以前にハイジャックが、ワシントンの他の機関に報告されたという証拠は一つとして見つかっていない。
 ほとんどの政府機関がニューヨークでの衝突を知ったのはCNNテレビによってだった。FAA内部でも、局長ジェーン・ガーベイとその次長代理モンテ・ベルガー がテレビで衝突を知るまで、ハイジャックについてなんの話も聞かされていなかった。この章の初めに記した様に、FAA内の他の職員はそれに気付いていたのに。 
国家軍事指揮センター:NMCC内部では、作戦副局長deputy director of operation)とその助手が、事件についてペンタゴンの上級職員(senior officials)に通知を始めていた。900分ころ、NMCCの上級作戦士官は、情報を求めてFAAの指令センターと電話連絡をしていた。しかし、NMCCはアメリカン11のハイジャックについては報告を受けたが、ジェット機によるスクランブルについて話し合われることはなかった。
 フロリダ州サラソタでは、大統領の車列がエンマ・E.ブッカー小学校に到着したところだった。そこでブッシュ大統領はあるクラスで朗読を聞き、教育について話し合いをすることになっていた。ホワイトハウスの主席補佐官アンドリュー・カードが語ったところによると、彼が大統領と共に教室の外で立っていたとき、大統領上級顧問カール・ローブが、小型の双発機がワールド・トレードセンターに衝突したというニュースを最初にもたらした。大統領の反応は、それはパイロットの操作ミスだろうというものだった。
 855分、教室に入る前に、大統領はホワイトハウスにいた国家安全保障補佐官コンドリーザ・ライスに電話した。彼女は大統領に、ワールド・トレードセンターに突っ込んだのは双発機だったと言い、次に商用機と言い直し「現時点で判っているのはそれだけです。大統領」と付け加えたと回想した。
 ホワイトハウスでは、副大統領のディック・チェイニーが会議のために席に着こうとしたとき、助手assistant)が彼にテレビをつけるように言った。それは1機の飛行機が、ワールド・トレードセンターの北タワーに衝突したからである。「一体全体、どうして飛行機がトレードセンターに衝突出来るんだ」と驚いていると2機目が南タワーに衝突するのが見えた。
ホワイトハウスのそこここで、朝の九時からの会議が始まろうとしていた。その衝突が、事故以外の何かだという情報が無いままに、ホワイトハウスのスタッフ達はいつもの予定を進めながら、ニュースをモニターしていた。
政府機関の協議 
 2機目の飛行機が衝突したとき、ホワイトハウスの殆どすべての職員が、これは事故なんかじゃないと直感したと語っている。シークレット・サービスはホワイトハウス複合施設の安全対策を強化し始めた。これらの命令を出した職員は、さらにハイジャックされた飛行機が有ることや、そのような機の一つがワシントンに向かっていることを知らなかった。これらは、ニューヨークでの衝突に起因する予防的な措置だった。
FAAとホワイトハウスの電話会議. 930分より前、FAAとホワイトハウス、国防総省は多省庁間電話会議を始めた。しかし、少なくとも10時まで、FAAと国防総省から適切な人材が参加しなかったため、FAAと軍との間での、ハイジャックに対する有効な協調は、何一つ成立しなかった。
 920分、FAA本部の安全担当職員はハイジャックについて、国防総省を含むいくつかの政府機関との電話会議を開始した。この会議に参加したNMCCの士官によれば、この会議の情報は断片的であまり価値がなく、他に重要な問題もあったので、電話会議は時おり一定持間ごとにモニターするだけだった。参加したFAAのマネジャーも、ペンタゴンが衝突されるまでは、軍は短時間しか参加しなかったと述べている。両者ともこの電話会議について、9/11の攻撃に対して対応を調整するという面では、何の役にも立たなかったと認めている。[FAA]次長代理のベルガーは、この朝 軍が電話に出ていなかったことを後に知って失望させられた。
 ホワイトハウスの執務室ではリチャード・クラークによって、ビデオ電話会議が開かれていた。クラークは長年、大統領のもとでテロ対策に携わってきた特別顧問である。通信記録によれば、そこにはCIAFBI、国務省、司法省、国防総省、FAAおよび地下シェルター内のホワイトハウスが参加していた。CIAFAAの参加は940分からだった。ホワイトハウスのビデオ会議でまず取り上げられた議題は―940分頃― 大統領、ホワイトハウスおよび連邦省庁の物理的な安全についてだった。開始直後、1機がペンタゴンに突入したことが報告された。この会議参加者たちが、アメリカン77便がハイジャックされ、ワシントンに向かっていたことについて、事前に情報を持っていたという証拠はなにもない。実際にこの会議が、ペンタゴン突入の937分以前に着々と進行中であったかどうかさえ明らかでない。
 ガーベイ、ベルガーその他のFAA本部の上級職員たちは、このビデオ会議にさまざまな時間に参加していた。国防総省から誰が参加していたかは判らない。しかし、初めの一時間、危機管理に参与している人物は一人もいなかったことは判っている。そして、少なくとも最初の一時間、ホワイトハウスのビデオ会議に持ち込まれた情報は、一つとしてNMCCに連絡されなかった。ある証言者は回想している。「そこではあたかも並行した意志決定が行われているようでした;一つはNMCCの指揮による音声の会議・・・そしてホワイトハウスの「ビデオ電話会議」・・・私にはあたかも彼らは指揮、管理、意思決定の舞台上で競い合っているように思われました」。
 1003分、会議には、飛行中の2機あるいは3機の飛行機が行方不明であり、ワシントン上空に「戦闘空中哨戒」態勢が敷かれた事が報告された。
 会議では交戦規定の必要性が論議された。クラークは、大統領に飛行機の撃墜許可を求めているところだと報告した。その認可は1025分に来た。だが、この指令はペンタゴンには直接の連絡によりすでに伝えられていた。

ペンタゴンの電話会議
. 国家軍事指揮センター(NMCC)内部では、作戦副局長(deputy director for operation)は2機目の衝突がテロリストの攻撃である事を直観した。このような非常事態でのNMCCの役割は、関係部署を召集して、国家指揮部門すなわち大統領と国防長官及び彼らの指令を実行する部門との間に、指揮命令系統を確立する事である。
 911日の朝、ラムズフェルド[国防]長官はペンタゴンで、議会のメンバーと朝食をとっていた。それから日常の概況報告を受けるため、自分のオフイスにもどった。長官は概況報告(briefing)の最中に、ニューヨークでの2回目の衝突の報告をうけた。さらに詳しい情報を待つ間、彼はブリーフィングを続行していた。ペンタゴンが衝突されたのち、ラムズフェルド長官は駐車場に行き、救助作業を手伝った。
 NMCC内部では、作戦副局長がすべての問題に対応する「重要事項」会議を招集した。929分、会議は簡単な要約と共に始まった。ワールド・トレードセンターが2機の飛行機の衝突をうけた事、アメリカン11便のハイジャックが確認されている事、オーティス基地の戦闘機がスクランブル中である事などである。FAAは情報の更新を求められていたが、新しい情報が入らなかったので、回線は沈黙していた。 1分後、次長は目下アメリカン11が今なお飛行中で、ワシントンD.C.に向かっていると発言し、空域防衛電話会議に変更する事を指示した。 NORADは先にのべたFAAからの誤った情報をリレーして、アメリカン11は飛行中でワシントンに向かっていると確認した。この電話会議は934分に終了した。
 会議は937分に空域防衛電話会議として再開され(*)8時間以上続いた。この電話会議には、大統領、副大統領、国防長官、統合参謀本部副議長、国家安全保障次席補佐官ステファン・ハドリー などが、さまざまな時刻に参加した。軍関係者はホワイトハウスの地下シェルターから、大統領の軍連絡官は大統領専用機「エアーフォース・ワン」からといった具合だった。


*):会議の電話時刻はすべて推定であり、我々と国防総省は、プラス・マイナス3分程度の幅があると考えている。(原文脚注)


 交換手たちはFAAを引き入れようと熱心に働いたが、通話設備に問題があり、また盗聴防止回線もなかなか見つからなかった。NORADは、103分までに3回も、この電話会議にFAAが参加しているかを問い合わせている。結局、1017分にようやく会議に加わったFAAの代表は、ハイジャックについての経験も責任も無いばかりか、意思決定権者への連絡手段も無く、FAAの上級職員に役に立つ情報を誰一人持ち合わせていなかった。
 この一大危機に当たって、フロリダやシャイアン山[コロラド]にいたNORADの上級指揮官たちが、FAA本部の同職位者と連絡を取り合って認識の向上に努めたり、共同の対応方法を検討し合ったという形跡はない。より下位の職員たちは、即席の対応を行っていた。たとえばFAAボストンセンターは、最初のハイジャックの後、命令系統を飛び越して直接NEADSと連絡していた。しかし国防総省の高官たちは、NMCCの空域防衛会議に頼っていた。そこには初めの48分間、FAAは参加していなかった。
 939分、NMCC作戦局長である軍士官がペンタゴンと電話を繋いだのは、ちょうどペンタゴンが衝突された時だった。彼は言った。「北アメリカに対する空からの攻撃が続いているようだ。NORAD、状況はどうなっている?」NORADは「情報は混乱しています。ニューヨークのJFK空港を離陸した飛行機が、多分ハイジャックされてワシントンD.C.に向かっているというのが最新の情報です」と答えた。NMCCはペンタゴンのモール側への衝突を報告し、国防長官が電話会議に参加するよう要請した。
 944分、NORAD はデルタ航空1989便のハイジャックの可能性を会議に報告した。2分後、スタッフはラムズフェルド国防長官とマイアース統合参謀本部副議長を探しているところだと報告した。副議長は10時少し前に会議に参加した。長官の参加は10時半前であった。[参謀本部]議長は国外にいた。
 948分、ホワイトハウスのシェルターの代表者が、他の飛行機のハイジャックの兆項があるかをたずねた。作戦次官はデルタ航空機について話し、「4機目のハイジャックらしい」と断じた。同49分、NORADの司令官は、基地にある配下の全機に対して、完全武装で戦闘配置につけと命令した。
 959分、ホワイトハウス軍事事務所の空軍少佐が会議に参加し、国家安全保障次席補佐官のステファン・ハドリーと話したところだと言った。ホワイトハウスは次の三点を要求していた。
()統治手段の継続(*1)()戦闘機による大統領専用機の警護、() 戦闘機によるワシントンD.C.上空の戦闘空中哨戒。(*2)
(*1)非常事態中も国家統治を継続する態勢をとること。政府要職者の分散避難等も行われる。(訳註)
 (*2)戦闘空中哨戒:combat air patrol:CAP:通常ある程度の交戦権が認められる(訳註)
 103分、ユナイテッド93便がペンシルバニアで墜落した時、同機のハイジャックの情報は無く、FAAはいまだに電話会議に参加していなかった。

大統領と副大統領  
大統領が教室で座っていた時、95分、アンドリュー・カードが彼にささやいた。「2機目が二つ目のタワーに衝突しました。アメリカは攻撃にさらされています」。大統領は、本能的に平静を保った。危機的状況にあっても国民に興奮した様子を見せるべきでないと感じたと後に語った。報道陣は子供たちの後ろに立っていた。大統領は彼らの電話やポケットベルが一斉に鳴り出したのを見た。大統領は何が起きたかがもっとはっきりするまで、強く平静な印象を与えるべきだと感じていた。
 子供たちが朗読を続けたので、大統領はさらに5ないし7分間、教室にとどまった。そして915分少し前に控室に戻り、そこでスタッフの概況報告を受け、テレビの報道を見た。それから彼はチェイニー副大統領、ライス補佐官、ジョージ・パタキ・ニューヨーク州知事、ロバート・ミュラー FBI長官と話し合った。彼は空港に向かう前に、学校から簡単な声明を発表することにした。シークレット・サービスは大統領をより安全な場所に移動することを切望していたが、ドアから走り出すまでのことでもないと思った。
 915分から30分まで、スタッフがワシントンへ帰る手段の調整に忙しくしている間、大統領は彼の上級補佐官(senior adviser)たちと相談していた。この間、視察ツアーの誰一人として、別の飛行機がハイジャックされたり、行方不明になっているという情報を得ていなかった。スタッフはホワイトハウスの執務室と連絡を取っていた。しかし我々の見る限り、大統領を含む誰一人、ペンタゴンと連絡を取った者はいなかった。焦点は大統領の国民に対する声明にあった。この間になされた唯一の決定はワシントンに帰るということだった。
 大統領の車列は935分に学校を出発し、同42分から45分の間に飛行場に着いた。大統領は走行中の車内でペンタゴンが攻撃を受けたことを知った。彼は飛行機に乗ると、彼の家族の安全をシークレット・サービスに尋ねてから、副大統領に電話した。電話記録によると、945分頃、大統領は副大統領に話した。「どうやら、小規模の戦争が起きているようだな。ペンタゴンのことは聞いた。我々は戦時下にある。このツケは誰かに払わせてやるぞ」
 このころ、カード、シークレット・サービスの主任、軍の連絡官とパイロットは、エアーフォース・ワンの目的地をどこにするべきかを話し合っていた。シークレット・サービスの護衛官は、ワシントンは大統領が帰るには不安定すぎると考えており、カードも同意した。大統領は、とてもワシントンに帰りたがっていたが、しぶしぶ他の場所に行くことに同意した。離陸前、大統領と副大統領が話しあっていた時点で、まだ結論は出ていなかった。副大統領は大統領にワシントンへは戻らないよう強く説得したことを思い出した。954分頃、大統領専用機は目的地未定のまま離陸した。目的はまず空へ ―出来るだけ速くそして高く― 行き先はそれから決められた。
 933分、レーガン・ナショナル空港の管制塔監督官(supervisor)はシークレット・サービスとのホットラインを取り上げ、オペレーション・センターに告げた。「1機がそちらに接近中。当方は機と連絡がとれない」。これがホワイトハウスへの直接の脅威について、シークレット・サービスが受けた最初の明確な報告だった。この時点で副大統領の避難について何の動きもなかった。この電話をうけた職員は「管制塔が飛行機は南に方向を変へ、レーガン・ナショナル空港に向かっていると通知してくれたのは、まさに警報ボタンを押そうとしていた時だった」と説明している。
 934分、アメリカン77便は南に向きを変え、ホワイトハウスから遠ざかり始めた。そして約1分間 南に向かった後 西に転じ、一回りして戻り始めた。936分直前、この知らせをうけたシークレット・サービスは、副大統領に避難を促した。 護衛官は、副大統領に席を立って地下の防空壕(bunker)に向かうよう説得した。同37分、副大統領はシェルターへ向かう地下トンネルに入った。
 トンネルの中の盗聴防止電話、椅子、テレビのある安全な場所で、チェイニー副大統領と護衛官たちは休憩した。副大統領は大統領に電話をしようとしたが、接続に時間がかかった。彼はトンネルの中でペンタゴンが衝突されたことを知り、テレビで建物から煙が上がっているのを見た。
 シークレット・サービスは、チェイニー夫人のホワイトハウス到着を952分と記録している。彼女はトンネルの中で夫である副大統領に合流した。経時記録ノートによれば、955分、副大統領はなお大統領と電話中で、3機の飛行機が行方不明となっており、内1機がペンタゴンに衝突したと報告していた。大統領にワシントンに戻らないよう副大統領が説得したのは、きっと、この電話だったのだろう。電話が終わると、チェイニー夫人と副大統領はトンネルからシェルター内の執務室に移動した。 
ユナイテッド93便と撃墜命令 
 911日朝、大統領と副大統領は直通回線open line)ではなく、一連の接続回線(series of calls )で連絡を保っていた。大統領はこの朝の貧弱な通信事情にイライラが募ったと語っている。彼は時間内にラムズフェルド長官を含む要人に接続できなかった。ホワイトハウスのシェルター内執務室 ―副大統領― との回線は切られたままだった。
 副大統領は、シェルター内の会議室に到着するとすぐに大統領に電話したのを覚えている。副大統領がいつシェルター内の会議室に到着したかについては証拠上で混乱が見られる。我々は信頼できる証拠から、彼の到着は10時少し前、おそらく958分と決定した。副大統領は到着直後に、空軍がワシントン上空で戦闘空中哨戒[CAP]に入ろうとしていると聞かされたと回想している。
 副大統領はCAPの運用規則について討議するため、大統領を呼び出した。彼はパイロットが、進路の変更に応じない機に対して発砲する権限を認められることなく、CAPを開始する事は良くないと感じており、大統領もこの考え方に同意したと述べた。大統領はそのような会話をしたことを覚えており、彼が迎撃機のパイロットだった頃を思い出したと述べている。大統領はハイジャックされた飛行機の撃墜を認可したと我々に強調した。
 副大統領の連絡将校は、副大統領が会議室に入るとすぐに大統領と話しをしたことは確かだが、その内容は聞いていないと語った。ライス補佐官は副大統領の到着直後に会議室に入り、副大統領の隣に座った。そして彼が大統領に、こう告げたのを覚えている。「サー、CAPが発動されました。サー、彼らは何をすれば良いのか知りたいと望んでおります」。それから彼女は、副大統領が「判りました。サー」と言ったのを覚えている。彼女はこの会話が始まったのは、彼らが会議室に入って数分後、多分5分後だったと信じている。
 我々は、この会話は1010分から15分より前に行われたと信じている。この朝のその他の重要な出来事については、いろいろ資料が残っているが、この電話には文書上の裏づけが無く、関連する情報源もあやふやである。一方、関連する情報源は不完全である。
 副大統領の近くにいた他の人物、たとえば副大統領の主席補佐官で、彼の隣に座っていたスクーター・リビーやチェイニー夫人は、副大統領の会議室入室直後の夫と大統領との通話についてメモを取らなかった。
 102分、シェルター内の連絡官たちは、シークレット・サービスから、多分ハイジャックされた飛行機がワシントンに向かっているとの報告を受け始めていた。この飛行機はユナイテッド93便だった。シークレット・サービスはこの情報をFAAから直接受けていた。FAAは、ユナイテッド93便の進行を、実際のレーダ反射ではなく、ワシントンに向かう予定の航路を表示した画面上で追跡していたと思われる。このように、シークレット・サービスは映像に依存し、その飛行機がすでにペンシルバニアに墜落している事には気づいていなかった。
 1010分から15分の間に、連絡将校は副大統領とその周辺の人々に、その飛行機は80マイル離れた地点にあると告げた。チェイニー副大統領はその飛行機と交戦する権限を求められた。スクーター・リビーによって記録された彼の反応はすばやく断固たるものであった。「今はスイングすると決めたバッターが必要な時だ(*)」副大統領は、戦闘機に哨戒圏内に入ってくる飛行機と交戦することを認めた。彼は、そう認可したのは、それ以前の大統領との話合いによるものだと言った。1012分から1018分の間に連絡将校が帰ってきて、飛行機は60マイル離れていると告げ、再び交戦の認可を求めた。副大統領は再びイエスと言った。
  (*)”in about the time it takes a batter to decide to swing”
 会議室のテーブルにはホワイトハウス次席補佐官のヨシュア・ボルトンもいた。ボルトンはこのやり取りに注目していた。そして「一瞬の沈黙」の後、副大統領に、大統領と接触して交戦許可の確認を取るよう示唆した。副大統領がすでに交戦命令を出していたことが、正しく大統領の耳にはいっているかどうかを、ボルトンは確かめたかった。この問題についての大統領とのそれ以前の協議を聞いていなかったから、と彼は語った。
 副大統領は1018分、大統領を呼びだして2分間会話し、確認を得たことが記録されている。エアーフォース・ワン上では、大統領の報道係秘書官がノートを取っていた。アリ・フライシャーは、1020分、大統領が必要とあれば飛行機を撃墜する許可を出したと語ったことを記録している。
 数分経過後、一機の飛行機がペンシルバニアに墜落したとの報告があった。シェルターにいた人々は、この認可によって飛行機は撃墜されたのではないかと思った。
 1030分ごろ、シェルターは他のハイジャック機が今度はわずか5から10マイル外に迫っているとの報告を受け始めた。来襲まで1~2分しかないと思い、副大統領が再び「交戦」または「排除」の許可を求めて交信した。1033分、ハドリーは防空会議の電話で「私はディック・マイアース[統合参謀本部副議長]に、低空の侵入機が5マイル外にあると報告しなければならない。副大統領の指示は、吾々はそれを排除しなければならないということだ」と話した。
 またしても、侵入機がどうなったかについての即座の情報はなかった。1人の証人の適切な証言によれば「それはレーダ画面からは消えたけれども、あなたの頭の中で飛び続けていたのです。それがどこにいて、どうなったのかは判りませんが」。やがて、シェルターの人たちは、5マイル先のハイジャック機とされていたのは、救急ヘリコプターだったと知らされた。
ホワイトハウスからパイロットへの権限の伝達 
 NMCCはユナイテッド93便のハイジャックを1003分ごろ知った。この段階で、FAAは軍と国家機関レベルの接触をしていなかった。NMCCはユナイテッド93の情報をホワイトハウスから知った。それは、FAAと接触したシークレット・サービスによって順次、知らされたものだ。
 NORADもまた何の情報も持っていなかった。1007分、防空電話会議に出ていた代表者は「このときワシントンD.C.に向かっているハイジャック機について、まったく気づいていなかった」と述べた。
 ホワイトハウス詰めの空軍中佐は、1014分から1019分の間に、NMCCに対し、もし侵入機がハイジャックされていると確認された場合は、戦闘機が交戦することを副大統領は許可していると再三伝えた。
 撃墜許可が防空電話会議に伝えられたころ、NORADの司令官、ラルフ・エバーハート将軍は、コロラド州シャイアン山中にあるNORAD作戦センターに向かっていた。彼がセンターに到着した時、命令はすでにNORADの指令系統を通じて伝達されていたと将軍は述べている。
 撃墜命令がNORAD内部でどのように伝えられたかは明らかでない。しかし1031分、ラリー・アーノルド将軍が部下に対し、NORADの即時通報システムによって放送するよう指示したことは判っている。「1031分、副大統領は我々に対し、当該機の進路を妨げ、もし指示に従わないなら撃墜するよう『アーノルド将軍』を通じて認可した」
 ニューヨーク州北部では、NEADS職員は、このメッセージで初めて撃墜命令を知った。

フロアーリーダーFloor Leadership):これを読め。管区司令官(Region Commander)は、我々の指 示に従わな         い航空機は撃墜できると発表した。了解したか?
管制官:はい。了解しました。
フロアーリ-ダー:ではおまえが誰かの進路を変えようとしても、彼が変えなかったどうする?
管制官:作戦局長(Director of OperationsDO)はノーと言っています。
フロアーリ-ダー:ノー? 命令は届いているんだぞ。それに反対なのか?
管制官 :いえ、今のところはノーです。しかし―   
フロアーリ-ダーOKOK、お前は副大統領の指示を読め。判ったか。 副大統領は認可している。   副大統領は飛行機を迎撃し、指示に従わなければ撃墜しろと「アーノルド将軍」を通じて認めている。

 我々のインタビューに対し、NEADSの職員はこの命令そのものと、その影響にはかなりの混乱があったと述べた。
 NEADSの司令官はこの命令を伝達しなかったと述べた。それは、彼がこの命令の引き起こす結果を予測できなかったからである。戦闘指揮官mission commander)と上級武器局長senior weapons director)もこの命令をワシントンとニューヨーク上空を旋回しつつある戦闘機に通達しなかった。それは、この指示を実施するためには、パイロットがどのようにしたら良いのか、またするべきかが明確でなかったからである。要するに、ワシントンの指導者たちは、頭上の戦闘機が敵性航空機を「排除せよ」と命令されていると信じていたのに係らず、実際に戦闘機パイロットに与えられた命令は 「機種を識別し、追尾せよ」だったのだ。
 通例では、戦力の行使を認める命令系統は、大統領から国防長官、長官から戦隊指揮官combatant commander)へと流れる。この朝、大統領がラムズフェルド国防長官と最初に話したのは10時少し過ぎだった。誰もこの会話の内容を思いだせないが、撃墜権限の問題が論議される事はない、短い通話だった。
1039分、副大統領は防空会議で国防長官に最新情報を伝えた。

副大統領:ワシントンに接近していると報告されている少なくとも三つの事例がある。うち2機はハイジャックが確認       されている。大統領の指示にしたがって、私はこれらを排除する事を許可した。ハロー?
国防長官:はい。了解しました。あなたはその指示を誰に伝えたのですか。
副大統領:それはここから、ホワイトハウスの(作戦)センター経由で伝えられた。シェルターからだ。
国防長官:OK、質問させてください。その指示は飛行機には送信されたのでしょうか。
副大統領:イエス。送信された。
国防長官:では現時点で、そう指示された2機が上空にあるという事ですか。
副大統領:その通り。私の考えでは、彼らは2機をすでに排除したと思う。
国防長官:それはこちらでは確認できません。1機が墜落したとは聞いていますが、撃墜したとい     うパイロットからの報告はありません。
 このやり取りから判るように、最初に撃墜命令が伝達された時、ラムズフェルド長官はNMCCにいなかった。彼はペンタゴンの駐車場から彼のオフイスに帰り(ここで大統領と電話で話した)、それから「幹部支援センター」に行って、ホワイトハウスのビデオ電話会議に参加した。次いで、1030分少し前、マイアース副議長と会うため、NMCCに移動した。ラムズフェルド長官は、1039分、副大統領と話した時、ようやく状況を把握したと我々に語った。彼がまず気にしたのは、パイロットが自分たちの交戦ルールを正確に理解しているかどうかを確かめることだった。
 副大統領が、撃墜認可がNORADの指示により飛行中のパイロット達に伝えられたと信じていた事は誤りだった。1045分、まったく異なる交戦規定を持ったもう一対の戦闘機がワシントン上空を旋回し始めた。これらの戦闘機は、コロンビア地区州兵空軍、第113航空団の一部で、彼らはシークレット・サービスにより通知された情報に応じて、メリーランド州のアンドリュース空軍基地を発進した。最初の機は1038分に飛び立った。
 デビッド・ホイーレイ将軍―113航空団司令官― は、シークレット・サービスが戦闘機の空中警戒を望んでいるという間接的報告を聞いた後、シークレット・サービスに接触した。シークレット・サービスの護衛官はそれぞれの車に電話を持っていて、一つはホイーレイと、他はホワイトハウスの同僚と接続していた。ホワイトハウスの護衛官は、副大統領から得た指示を中継したと言っている。
 ホイーレイへの指示は、ホワイトハウスを護衛し、連邦議会議事堂(the Capitol)を脅かすいかなる航空機も排除せよ、との命令を受けた戦闘機を派遣することだった。ホイーレイ将軍はこの命令を軍隊用語に翻訳した。「飛行中、兵装使用自由」(Weapons free)―これは射撃の判断はコックピット[パイロット]に任せる、この場合には編隊長(lead pilot)に任せるという事を意味した。彼はこの指示を1042分およびそれ以後に発進したパイロットに出した。
 このように、ラングレー基地から緊急発進したNORADのパイロットは、いかなる形での交戦指令も受けなかったのに対し、アンドリュース基地のパイロットは兵装使用自由 ―寛容な交戦規則― によって行動していた。大統領と副大統領は、軍の命令系統以外に、シークレット・サービスの要請でアンドリュース基地から戦闘機が緊急発進したことは認識していなかった、と我々に語った。NORAD本部あるいはNMCC の軍関係者が―911日の午前中― アンドリュース基地の戦闘機が飛行していた事、また異なる交戦規定によって行動していた事を知っていたという証拠はない。
 もし万一?  (What If?)
  NORAD当局者たちは、乗客たちがユナイテッド93便の墜落原因を作らなかったとしたら、軍がワシントンD.C.への接近を阻んで撃墜していただろう、と一貫して主張している。だがこの結論を生んだ事件の解釈は、不正確だったことが今では判明している。つまり、NORADには、同便迎撃までに47分間もの余裕など無かった。NORADは、同機が墜落した後まで、ハイジャックされたことすら知らなかった。したがって、ユナイテッド93が迎撃されただろうという件は再考の必要がある。
 もし103分に墜落していなかったとしても、ユナイテッド93便は1013分より前にワシントンに到達することは出来ず、また1023分以前には到着していただろうと推定される。この時間枠内にワシントン上空を旋回していたのは、一対のラングレー基地のF16戦闘機のみで、彼らは武装し、NORADの指揮下にあった。107分、NEADSがハイジャックを知った後、NORADが同便の位置を確定し、撃墜の認可を受け、命令をパイロットに伝達し、パイロットがそれをさらに(同じ時間をかけて)確認し、目的機を迎撃して命令を実行するには、6ないし16分を要しただろう。
 この時点で、ラングレー機のパイロットは彼らが直面している脅威について知らず、ユナイテッド93便の位置も、また撃墜が認可されたことも知らなかった。
 第一に、ラングレー機のパイロット達は、緊急発進の理由について全く説明を受けていなかった。編隊長は述べている。「私はロシアの脅威を思い出しました。海上からの巡航ミサイルの脅威だと思った。・・・見下ろしたら、ペンタゴンが燃えているじゃないですか。あいつら、一杯くわせやがったなと思いました。でも1機の飛行機も見えなかった。我々に、誰も何も説明してくれませんでした」。パイロット達は彼らの任務が航空機の針路を逸らす事だとは知っていた。しかし脅威がハイジャックされた民間航空機から来るとは知らなかった。
 第二に、NEADSはユナイテッド93の位置について、正確な情報を持たなかった。仮にFAAがその情報を提供していたとしても、それにどれくらいの時間を要したかは分らないし、NEADSが標的の位置を突き止めるのにどのくらいの時間が必要だったかも不明である。
 第三にNEADSは命令をパイロットに伝える必要があった。1010分、ワシントン上空のパイロットたちは、「射撃による排除は不許可だ」と厳命されていた。NEADSに最初に撃墜権限が伝えられたのは1031分だった。NORADSの司令官たちが、副大統領から伝えられる認可がないまま、撃墜を命令したこともありうるが、旅客機を撃墜すると言う決定の重大さからみても、またNORADSが誤りを犯してはならないと注意していたことからも、我々はその可能性は有りそうもないと考える。
 NORADの職員たちは、もしユナイテッド93を見つけていたら、迎撃し撃墜しただろうと主張し続けている。はたしてそうだろうか。確信を持って言えることは、国民はユナイテッド93便の乗客たちに大きな恩義を受けているという事である。彼らの取った行動は数え切れない人々の命を救い、またおそらくは議事堂かホワイトハウスを壊滅から救ったのだ。
 911日の朝の出来事は込み入っている。しかしそこで演じられたテーマは単純なものだった。NORADFAAも、2001911日に合衆国に仕掛けられた種類の攻撃に対して、まったく無防備だった。困難な状況のもとで、彼らはかつて経験したことも訓練した事もない、前例のない挑戦に対して、即応的に本土防衛のために戦ったのだ。
 この朝、1002分、ニューヨーク州ロームにあるNORADの北東防空管区で、当直戦闘指令官(mission crew commander)の助手が同僚と指揮センターで働いていた。思い出すため少し考えた後、彼は次のように述べたと記録されている。 「これは新しいタイプの戦争だ」
 彼は正しかった。そして今も正しい。しかしこの戦いは911日に始まったわけではない。それはその数年前から公に宣言されていた。宣言の中でもっとも注目すべきものは、1998年の早い時期に、ロンドンのアラビア語新聞にファックスで送られていた。ほとんどのアメリカ人はそれに注意を払わなかった。そのファックスは数千マイル離れた、地球上でもっとも遠くかつ貧乏な国の一つから、あるサウジアラビアの亡命者の支持者たちによって送りつけられたものであった。


第1章Note

Note 26.(要旨)「アメリカン航空」の客室乗務員は各自鍵を持っていた。 

Note66.(要約)197096および8日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)によって、米、英、スイスの計4機がハイジャックされた。

Note 90.(要約)フランクフルト発カイロ行きルフトハンザ機がハイジャクされ、ニューヨークのJ.F.K.空港に着陸した事件。11時間後、無事解決した。




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