第10章 戦争の時     (原文 p.325)
 攻撃が起こった後、まだ危機管理官が困りものの誤った警報を削除していた頃、[大統領専用機]「エアーフォース・ワン」は、ルイジアナのバークスデール空軍基地に向かって飛行していた。これらの警報のひとつは「エアーフォース・ワン」自体に関する伝聞的な脅迫で、その朝のあわただしい「ホワイトハウス危機管理室」Situation Room)での誤った伝達により、たまたま流出したものだった。
 大統領は小学校の参観終了後、ワシントンに帰る予定だった。「エアーフォース・ワン」が飛行中の午前955分、同行中のシークレット・サービスと大統領補佐官たち、さらに[ホワイトハウスにいた]チェイニー副大統領は、ワシントン帰還に強く反対する忠告を行った。ブッシュ大統領は、しぶしぶその忠告に同意した。そして1010分頃、「エアーフォース・ワン」はコースを変え、機首を真西に向けた。当面の目標は、大統領が着陸し、アメリカの人たちに話しかける、安全な場所を見つけることだった。シークレット・サービスは、飛行機の給油と、旅行グループを分割してサイズを小さくすることを考えていた。大統領付き空軍士官は即座に選択肢を探し、1020分頃、バークスデール空軍基地が臨時の目的地として適当だと決定した。 
 「エアーフォース・ワン」がバークスデール[ルイジアナ州]に着陸した1145分頃、地区のシークレット・サービスは、なお飛行場へと急いでいた。車列は、MP[軍警察]の先導する乗用車とバンからなっていた。ブリーフィングのために提案された劇場には、電話も電気的出力装置も無かった。スタッフは大統領の発表のための別の部屋を用意するのに、大わらわだった。その間、シークレット・サービスの主任は、ワシントンの上司と安全状況について再検討していた。大統領はステートメントを完成したが、安全上の理由でそれは録音され、ライブ放送は行われなかった。そして一行は「エアーフォース・ワン」に戻った。次の目的地が討議された。シークレット・サービスはワシントンに帰ることになお反対で、副大統領もそれに同意した。そこでネブラスカのオファット空軍基地が選ばれた。その理由は緻密な指揮統制施設があり、50名の人たちを泊めることが出来たからだ。シークレット・サービスは、もし必要となれば大統領が数日を過ごせる場所を望んでいた。
 「エアーフォース・ワン」はオファットに午後250分に到着した。315分頃、ブッシュ大統領は、安全なビデオ電話会議を通じて、彼の主要な補佐官たちに会った。
 ブッシュ大統領は会議を「我々は戦争状態にある」という言葉で始めたとライスは言った。そして中央情報長官ジョージ・テネットは、関係官庁はなお誰に責任があるか討議中だが、初期の兆候はすべてアルカイダを指向していると言った。その夜、次官達は彼らが夏の間努力してきた、保留中の大統領指令presidential directive)[の作成業務]に戻った。
 国防長官は、国軍に防衛状態3を指示し、軍の準備態勢を強化した。歴史上初めて、合衆国にある緊急用以外の全民間航空機が着陸させられた。国を横断する何万もの乗客が立ち往生していた。政府継続策と指導者たちの避難についての緊急事態計画が実施された。ペンタゴンは攻撃された。ホワイトハウスと議事堂のどちらかは、直接の攻撃を辛くもまぬがれた。国家の国境と港湾で、特別の安全警戒が実施された。
 午後遅く、大統領は補佐官たちの抵抗を押し切ってワシントンへ帰ることを決め、「エアーフォース・ワン」をアンドリュース空軍基地に帰すことを命じた。彼はまだ煙を上げているペンタゴンの上を越えて、ヘリコプターでホワイトハウスに飛び帰った。その夜830分、ブッシュ大統領はホワイトハウスから、国民に演説した。第一の優先事項は負傷者の救護と次の攻撃を防ぐことだと強調した後、「我々は、このような行為を犯したテロリストと、彼らを滞在させた者たちを区別しない」と述べた。彼は[旧約聖書から]詩篇第23篇を引用した。「・・わたしは死の陰の谷をあゆむとも・・」彼は言った。「この日を忘れるアメリカ人はいないだろう」。
 演説の後、ブッシュ大統領は、運輸長官ノーマン・ミネタと連邦危機管理局[FEMA]長官のヨセフ・オルバートを含む、拡大国家安全保障会議(NSC)を開いた。攻撃のことを聞いてペルーから帰国したコリン・パウエル国務長官も討議に加わった。彼らは一日の出来事を振り返った。

 
10・1 国内での直後の反応  p.326
 緊急の国内の問題が累積したため、ホワイトハウスの副主席補佐官ヨシュア・ボルトンは臨時の「国内重要問題」グループを召集した。その初日の協議事項は重要なものはなにも無かった。一部は将来の危機管理計画者のためのチェック・リストのようなものだった。それはいかに犠牲者を助け、それに続くアメリカ経済の出血を止めるか、だった。それは次のようなものである。
 ・連邦緊急援助の組織化。一つの問題は崩落したビル近くの南マンハッタン地区の大気の質について、どのような公衆衛生面の助言を与えるか、だった。Note.13
 犠牲者に対する補償。彼らは法的な選択肢の数値を推定した。将来は連邦補償基金を設定し、それを運営する特別な主任の権限を決定する。  
 ・  連邦援助の決定。913日、ブッシュ大統領は、ニューヨーク市に対し、200億ドルを提供する事を 約束した。これに加えて彼の予算管理者は、国全体に200億ドルが必要になるだろうと推定していた。
  民間航空の復旧。913日朝、国内の飛行空域は、新しい即応的な安全基準に適合した空港に対し再開された。
 ・経済市場の再開。ホワイトハウス、財務省、有価証券・証券取引委員会の特別な緊急時の努力と、  通常は競合的立場にある金融企業の間の、前例のない協力に助けられ、市場は917日、月曜日に再  開された。
 国境と港湾を、いつ、またどのように、正常な安全対策に戻すかの決定。
 航空運輸産業の救済、債務に上限を設ける立法上の提案の算出。
 これらの事項を再検討する現実の作業は、脆弱性の評価と、保護と準備の問題を扱う効率的な政府組織が存在しないことを強調した。多くの官庁がその業務の一部を担っていたが、安全保障の問題をその最優先の任務とするところは無かった。
 914日、副大統領チェイニーは、それらを新しい組織に統合することに挑戦するよりは、少なくとも最初のステップとして、新しいホワイトハウスの統一体がすべての関連する官庁を調整する方式を推奨することに決定した。この新しいホワイトハウスの統一体は、国土安全保障補佐官と国土安全保障会議である。これは、国家安全保障会議[NSC]システムと並存する。チェイニー副大統領は、提案をブッシュ大統領および他の補佐官たちと再検討した。大統領は、920日の議会両院合同会議の演説で、新しいポストとその最初の担当者として、ペンシルバニア州知事トム・リッジを発表した。 
 911日、事件が始まるとすぐに、移民帰化局(INS)はFBIと協力して、FBI9/11攻撃についての捜査の手がかりを追跡している中でたまたま出会った、不法移民を逮捕し始めた。結局、768人の外国人が「特別重要」拘留者として逮捕された。何人か(たとえばザカリウス・ムサウイ)は、実は9/11以前にINSに留置されていた;大部分はそれ以後に拘留された。司法長官ジョン・アシュクロフトは、彼の指揮している仕事は「リスクの最小化」だと見ていたと我々に語った。それは、攻撃を行った人物を見つけることと、引き続く攻撃を防ぐことであった。アシュクロフトは、すべての特別重要移民の審理を、公衆、家族および新聞に非公開とするよう命じた;連邦検事たちには、彼らがFBIやその他の機関によって、テロリスト団体から「潔白」であるとされる時まで、[テロ組織との]結びつきの否認について捜査するよう指示した;そして拘留者の身元を秘密にするよう命令した。移民法違反の起訴を担当しているINS検察官attorney)たちにとって、拘留者とテロリスト組織についての情報入手は厄介だった。攻撃の混乱の中で、別の指揮によって手がかりを追っている法執行職員に到達するのは非常に難しかった。司法省によって認められた、潔白を証明する方法は、時間のかかるもので、平均して約80日を要した。
 我々はこの「特別重要」拘留外国人に対する取組みについて評価した。拘留者たちは、法律上は移民法違反を適用された。記録では、531名が国外追放、162名が拘束を解かれ、24名が何らかの移住の利益を得た。また12名は彼らの法的手続きを終了し、 8 うち一人はムサウイ― が合衆国保安官署(U.S. Marshals Service)に引き続き留置された。司法省の監察官(inspector general)は、9/11拘留者が扱われた方法に、重大な問題を発見した。9/11拘留計画のテロリズム対策上の有効性の[証明]依頼に応じて、司法省は特別重要拘留者名簿から6名の個人を例証した。(ムサウイを含む。)二人はテロリスト組織に直接関係していることが注目され、9/11テロリスト攻撃の捜査を助ける新しい手がかりを得た。ある古参のアルカイダ拘留者は、9/11攻撃後のアメリカ本土を監視する合衆国政府の取組み、―ムスリムの移民ファイルの再調査と非永住者の国外退去を含む― は、合衆国内でのアルカイダの自由な活動に縮小を強いたと述べている。
 9/11以前、政府の合衆国内での情報収集能力と、その情報を情報機関と法執行機関の間で共有する事は、優先事項ではなかった。この点について、20018月に法務次官ラリー・トンプソンによって発表されたガイドラインは、基本的には先行するガイダンスを要約したものだった。しかし、9/11の攻撃はすべてを変えた。911日から一週間もたたないうちに、後に愛国者法(正式には「USA PATRIOT法」)となる初期の版が姿を現し始めた。提案の中心となる条項は(第3章で討議された)情報機関と法執行機関との間の情報共有に関する「壁」を取り除く事であった。アシュクロフトは、憲法の制限の中で、潜在的テロリストを発見し追加の攻撃を防止するために、考えられるすべての行動をとる積りだったと我々に語った。政府は提案を造り上げ、ついに議会両院を大多数で通過させ、1026日、[大統領の]署名により法となった。

合衆国を離れるサウジ国民のフライト

9/11直後、サウジ国民の合衆国からの出発について、三つの疑問が持ち上がった:

1)サウジ国民の何らかのフライトが、2001913日の全国の空港再開前に行われたのではないか?(2)サウジ国民の出発を手助けする政治的介入があったのではないか?              (3)彼らの出発前に、FBIは徹底的に彼らの選別を行ったか? 

 第一に、我々は、2001913日朝の全国の空港再開前に、国内および国際線ともに、サウジ国民のいかなるフライトの[行われた]証拠も発見できなかった。それとは反対に、我々が特定したいかなるフライトも、全国の空港再開後に行われていた。Note 25

 第二に、我々は、いかなる政治的介入も発見できなかった。我々は、ホワイトハウスのリチャード・クラークのレベル以上の誰も、サウジ国民の出発の決定に関与したいかなる証拠も発見できなかった。クラークが司会した省庁間の多くのビデオ会議の中の一つとして、この問題が上がってきた。クラークはそれが討議に上がった時、FBIのやり方を是認すると言った。クラークは我々に語った。「私はFBIのデール・ワトソンに尋ねた・・。それを扱ったか、彼ら全員問題が無いか検査したか、彼らがこれらの人物の誰かに接触することを望んでいたか、そして私に差し戻すか。彼らに問題が無ければ、私にとっても良いことだ」クラークは付け足した。「私はそれについてホワイトハウスの誰かとはっきりさせたかかどうか思い出さない」 

しかしながら、ホワイトハウスの主席補佐官、アンドリュー・カードは、9/11直後に誰かが彼にサウジの要望を話したことを覚えていた。彼は、サウジ人とは話したことはなく、また誰にもそれについて何をするかを尋ねなかったと言った。大統領と副大統領は、後にメディアに現れるまで、その件について全く気付かなかったと我々に語った。我々がインタビューした職員の誰も、この件について、いかなる政治的被指名者(appointee)からのいかなる介入や指示も思い出さなかった。

第三に、我々はFBIが、合衆国をチャーター便で離れたサウジ国民Note 28の満足な選別を行ったと信じる。サウジ政府は、乗客が認定され、フライト出発前に各種のデータベースでチェックされるというFBIの要望を通知され、同意した。FBIのオペレーション・センターで働く連邦航空局の代表は、FBIがサウジ国民のフライトを認識しており、乗客らが出発を許可される前に選別することが出来たと確認している。

FBIはフライト出発前に関係するすべての人物とインタビューした。彼らは、乗客の誰一人、9/11に関係していないと結論した。そしてそれ以後、その決定を変更するなんの証拠も見いだされていない。サウジ国民の関与についての我々独自の見解では、このフライトでテロリズムに関係した者は誰も出発していないと確認する。

 

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10・2 戦争の計画   (原文 p.330
 911日の夜遅く、大統領はその日の恐ろしい出来事について、国民に演説した。チェイニー副大統領は、大統領の気分は暗いものだったと書き留めている。長い一日はまだ終わっていなかった。彼[副大統領]の国内省庁の長を含む大きな会議が始まった時、ブッシュ大統領は、より小さな上級補佐官会議の議長をしていた。そのグループを、彼は後に「戦争評議会」と呼ぶことになる。このグループは通常チェイニー副大統領、パウエル国務長官、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、[統合参謀本部議長]ハグ・シェルトン将軍、統合参謀本部副議長(後に議長)マイアース将軍、テネット中央情報長官、アシュクロフト司法長官、それにロバート・ミュラーFBI長官を含んでいた。ホワイトハウスのスタッフからは、国家安全保障補佐官コンドリーザ・ライスおよび主席補佐官(Chief of Staff)カードが中核グループの一部だった。しばしば彼らの、副補佐官ステファン・ハドリーとヨシュア・ボルトンが参加した。
 この限られた国家安全保障会議[NSC]の中で、大統領は、今は自衛の時だと言った。合衆国の攻撃は犯行者のみならず、彼らを保護した者たちをも罰するだろう。パウエル国務長官は、合衆国はパキスタン、アフガニスタン、アラブ各国に、行動する時は今だということを明らかにしなければならない、我々は同盟を作る必要があると言った。大統領は、攻撃はロシアと中国を引き込む大きな機会を提供したと指摘した。ラムズフェルド国防長官は、大統領や他の首脳達に、誰が攻撃者を保護したかについてはより広く考えるよう主張した。それは、イラク、アフガニスタン、リビア、スーダン、イランを含んでいた。彼は、合衆国がこれらの国を扱うには、どれだけの証拠が必要になるかを声高に心配していた。そして、主要な打撃を組み立てるのには、60日を必要とすると指摘した。
 大統領は、912日にさらに2回、NSCを司会した。最初の会議で、彼は、合衆国は新しい、また異なった種類の敵との戦争をしていると強調した。大統領は、首脳たちに9/11以前の仕事を超えて進むこと、そしてテロリストを取り除き、彼らを支持したものを罰する戦略を作り出すことを任務として与えた。彼らはやがて来る軍事行動のゴールと目的を明らかにする作業をする内に、アルカイダを超えて「我々の生活に脅威をもたらすテロリズムの除去」を目的ととして提案する文書を検討した。その目標は、中東の他の国際テロリスト組織の追跡も含むものとなるだろう。
 913日、ライスは「危機管理室」で行われた長官級会議を司会した。そこでは、どのようにアルカイダに対する戦いを行うかを練りあげた。長官達は、誰であれアルカイダを支援する者は、損害をこうむる危険があるという総合的なメッセージがあるべきだという点で合意した。合衆国は外交、経済政策、情報および軍事行動すべてにわたる戦略を統合する必要があるだろう。長官たちは、またパキスタンに注目し、タリバンをアルカイダに反対するように転向させるためには、何が出来るかを考えた。彼らは、もしパキスタンが合衆国を助けないと決めた場合、それは大変な危機だと結論した。
 同じ日、国務副長官リチャード・アーミテージは合衆国駐在パキスタン大使マレーハ・ロディーに会い、さらにパキスタン軍情報サービスのマームド・アーメドを訪問した。アーミテージは、合衆国はパキスタンに七つの段階を取ることを望んでいると述べた。
 ・アルカイダ工作員を国境で止め、ビン・ラディンに対するすべての兵站支援を終えること
 ・  合衆国に必要なすべての軍事および情報作戦に対し、領空の通過と着陸の権利を与えること 
 ・アルカイダに対する工作を実行する合衆国および同盟軍の情報員他の個人に対し、地域の通路を提  供すること
 合衆国に諜報情報を提供すること
 ・テロリストの行為の非難を公開的に続けること
 ・タリバンへの燃料のすべての出荷を停止し、アフガニスタンへ行く勧誘を止めること
 もし、ビン・ラディンおよびアルカイダに関係している証拠がみつかり、またタリバンが継続して  彼らを保護する場合には、タリバン政府との関係を  破棄すること
 パキスタンはすばやく決定を行った。その日の午後、国務長官パウエルは、NSC会議の冒頭で、パキスタンのムシャラフ大統領がテロリズムとの戦いを支持するため、すべての合衆国の要望に同意したと発表した。次の日、イスラマバードのアメリカ大使館は、ムシャラフと彼の軍上層部の指揮官たちが七項目の要求のすべてに合意している事を確認した。「パキスタンが我々と共に進むためには、合衆国の十分なサポートを必要とするだろう」と大使は書いている。「ムシャラフは、GOP(パキスタン政府)は、その地域の使用許可について本質的な権利の設定を行いつつあり、彼はその国内での代価を払うことになるだろう。彼のパキスタンでの立場はある程度苦しいものだった。釣合いを取るために、彼はパキスタンがこの決定により利益を得ることを示す必要があった」。
 913日のNSC会議において、パウエル長官がパキスタンの回答について述べた時、ブッシュ大統領は討議をタリバンに対する適当な最後通告の問題に導いた。彼はまた、ラムズフェルドにタリバンに対する軍の計画を作ることを命じた。大統領は合衆国がタリバンを攻撃することを望んでいた。もし彼らがメッセージを了解するなら待機し、そうでなければ彼らを激しく攻撃する。彼は、軍は目標をタリバンの行動に影響するものに絞るべきだと言うことを明らかにした。
 ブッシュ大統領は、国務省にも任務を与えた。それは翌日中に「パキスタンとアフガニスタンに対する政治的軍事戦略的ゲーム計画」と題した文書をホワイトハウスに届けることだった。その文書は、たとえタリバンのコントロール下にあっても、ビン・ラディンは合衆国に反対する行動を続けるだろうと言う前提で作られる。したがって、そこにはタリバンに対する合衆国の特別の要求を詳しく記していた;ビン・ラディンとアイマン・アル・ザワヒリを含む彼の主要副官の降伏;タリバンがアルカイダとその作戦について知っていることを合衆国に説明すること;すべてのテロリストキャンプの閉鎖;すべての投獄外国人の釈放;およびすべての国連安全保障理事会の決議に従うことなどである。
 国務省は、タリバンに送る最後通告を提案した:ビン・ラディンとその副官を差し出し、アルカイダのキャンプを24ないし48時間以内に閉鎖すること、そうでなければ合衆国はテロリストの諸施設の破壊に必要な全ての手段を使用するだろうというものだった。国務省はタリバンが従うとは期待していなかった。したがって、国務省と国防総省は、アフガニスタンに侵攻する国際的同盟の創設を計画していた。両省は、NATOおよびその他の同盟国と相談し、各国に彼らの能力と資産に応じて情報、基地の設置その他の支援を要請した。最後に、その計画は公式の合衆国の立場を詳述した:アメリカはすべての資源を、テロリズムの脅威を取り除くために使うだろう。9/11攻撃に責任のあるものを処罰し、テロリストに保護地を提供した責任のある国家とその他の行為者を捕まえ、同盟国と協力してテロリストグループとそのネットワークを取り除くために働く。そして、いかなる人々、宗教、文化に対しても敵意[を持つこと]を避ける。  
 ブッシュ大統領は、政府はアフガニスタンに地上部隊を侵攻させるべきだと言うことに、いち早く気付いていた事を思い出した。しかし、大統領とラムズフェルド長官に対する軍事的選択肢についての初期の概要説明は失望させられるものだった。中央軍(CENTCOM)指揮官トミー・フランクス将軍は、大統領は満足しなかったと我々に語った。フランクスは、合衆国軍はアフガニスタン内のアルカイダの脅威を取り除く、棚から降ろしてくるような[即応的]計画は持っていなかったと言った。彼の見解では、存在している「最終解決」[作戦計画]の選択肢は、このような目標に達していなかった。
 915日から16日にいたる週末、すべての外交および軍事計画が見直された。ブッシュ大統領は、戦争評議員をキャンプデービッドに召集した。出席者は、副大統領チェイニー、ライス、ハドリー、パウエル、アーミテージ、ラムズフェルド、アシュクロフト、ミュラー、テネット、国防副長官ポール・ウオルフビッツ、DCIのテロリスト対策センター長:コファー・ブラックだった。
 テネット[DCI]は情報収集と極秘作戦(co)の実施計画を説明した。彼は、CIAチームをアフガニスタンに入り込ませ、アルカイダに対して連合して戦うアフガンの軍閥と協力して働くことを提案した。これらのCIAチームは軍の特殊主作戦ユニットと結合して行動することになるだろう。ブッシュ大統領は後にこの提案を賞賛した。それは彼の思考の転換点になったと言っている。
 シェルトン将軍は、軍が集約してきたアフガニスタンに対する予備的計画について、首脳に概要説明した。それは、200011月からペンタゴンが策定を始めた最終解決「段階別作戦」計画を上書きしたもので、1998年以来精選されてきた打撃選択肢の追加分であった。しかし、シェルトンは新しい要素―可能な限りの相当数の地上兵力の使用―を追加した。その個所はブッシュ大統領の注意を引いたとされている。
 ブッシュ大統領は、上級補佐官からヒアリングした後、すべての計画を開始するために彼が発行しようとしている大統領指令directives)の内容について、ライスと討議を始めた。ライスは文書を用意しており、ブッシュ大統領は917日;月曜日の朝に、首脳たちと共に検討した。彼は思い出して言った。「この会議の目的は、今日から始まったテロリズムに対する戦争の第一波についての任務を割り当てることだ。それは今日、始まる」
 その朝の会議を少し整理して書かれた一連の指示の中で、ブッシュ大統領は、アシュクロフト、ミュラー、テネットに本土防衛の計画を展開する任務を与えた。ブッシュ大統領は、国務長官のパウエルに、彼の部署が初めに提案した線に沿って、タリバンに対する最後通告を送るよう指示した。さらに国務省には、パキスタンを安定させる計画の立案と、戦争行動が差し迫った時に、ロシアおよびアフガニスタン周辺国に対する通告を準備することも任務として与えた。
 これに加え、ブッシュは彼の補佐官たちとアフガニスタンでの極秘行動(c,a,)に関する新しい法的権限について討議した。そこには、ビン・ラディンに対する政府の最初の「通告メモ」(MON)も含まれた。その後すぐに、ブッシュ大統領はCIAに対し広い新しい権限を与えた。
 ブッシュ大統領は、ラムズフェルドとシェルトンに、もしアルカイダが最後通告を拒否したとき、タリバンとアルカイダを攻撃する、キャンプデービッドでの軍の計画よりさらに進んだ計画を作るように指示した。大統領はまたラムズフェルドに、アメリカ軍をテロリストから護る強い処置が全世界で実施されているかを確認する任務を与えた。最後に彼は財務長官ポール・オニールにアルカイダの資金を標的とし、その資産を押さえる計画を作ることを指示した。NSCのスタッフ達は、918日までに、テロリストの資金調達[調査]についての先行的な会議を始めた。
 同じ918日、パウエルは58の外国の同職位者と接触し、全般的な援助、捜索および救助機材と人員、医療補助チームなどの申し出を受けた。同じ日、国務次官のアーミテージは[パキスタン軍情報局長]マームド・アーメドから、アフガニスタンへの二日間の訪問について、電話を受けた。その訪問の間に、パキスタンの情報主任がムラー・オマールに会い、合衆国の要求を伝達した。オマールの反応は「それらすべての点について、否定的ではなかった。」しかし、政府は、タリバンはビン・ラディンを引き渡しそうも無いことを知っていた。
 9/11以前のアルカイダに対する大統領指令の草案は、「合衆国に対するテロリストの恐怖の打倒」と題された新しい指令「国家安全保障大統領指令9号」(NSPD)の中に展開された。その指令はアルカイダのみならず、テロリズムとの世界的な戦争に拡大されるだろう。それはまたテロリストと、それを保護するものを区別しない大統領の決意を含んでいた。それは、もし必要ならアフガニスタンの保護地帯を終わらせるために、軍事力を使うことを含んでいた。新しい指示は、―アフガニスタンでの戦争がすでに始まっていた1025日、正式に署名された― 追加の討論に従って、目標とされる各々のテロリスト集団を新しい題材として含んでいた。アルカイダについての古い指示の草案は、結果として、最初の追加となった。合衆国はすべてのテロリスト・ネットワークを取り除き、彼らの財務的支援を干し上げ、彼らが大量破壊兵器を入手すること妨げるように奮闘するだろう。そのゴールは「我々の生活方法の脅威となるテロリズムを取り除く」ことだ。

                       
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 10・3 「第二段階」とイラク問題  (原文 p.334
 ブッシュ大統領は、[9/11]攻撃のすぐ後に、サダム・フセイン体制が手助けをしたのではないかと疑った。イラクは11年にわたって、合衆国の敵だった。そして世界の中で合衆国が作戦を継続している唯一の場所でもあった。前パイロットとして、大統領は明らかに洗練された作戦と、いくつかの操縦、特にハンジュールのペンタゴンへの急降下に衝撃を受けた。彼は同様にパレスチナの自爆テロリストに対する、イラク人の支援を思い出したと我々に語った。関係している可能性のある他の国について見回したとき、大統領はイランを考えたと我々に話した。
 クラークは、912日の夜、ブッシュ大統領は彼と何人かのスタッフに、イラク人が9/11に関係している可能性を追求するよう話したと書いている。「サダムがこれをやったのではないか調べろ」。クラークは大統領が彼らに話したことを思い出した。「ともかく彼が関係していないかを調べろ」Note 60。彼はクラークの報告の細部は正しくないと信じていたので、ブッシュ大統領はいくつかの点でクラークと話し、イラクについても尋ねたことを認めた。
 大統領の指示に応じて、クラークの事務所は918日、「911日の攻撃に対するイラクの関与についての諜報情報の調査」と題するメモをライスに送った。ライスのアフガニスタン問題の主任スタッフ、ザルメイ・ハリルザードは、いくつかの噂話程度の証拠が、イラクとアルカイダとを結び付けていると言う結論に同意した。そのメモでは、イラクが攻撃の計画または準備のいずれかを行ったという「納得できる事実」は見つけられなかった。それは、二、三の外国の諜報報告に沿ったもので、20017月にアタとイラクの情報職員がプラハで会ったと主張したチェコの報告書(第7章)およびイラク情報局の人物が、バクダットで、911日以前に、特定されない事件の大衆の反応を測るために街頭に行けと話されたというポーランドの報告を含んでいた。これらの事態は、イラクとアルカイダの間の結びつきを論じるには弱い。メモは、ビン・ラディンはサダム・フセイン体制の世俗主義に憤慨していたと指摘している。最後にメモは、サダムが従来型でない兵器でビン・ラディンと協力したと確信できる報告は無いと言っている。
 9/11の午後、当時のノートによると、ラムズフェルド長官はマイアース将軍に、速やかになるべく多くの情報を得るように指示した。このノートは、彼が空っぽの訓練場を攻撃することに単純に興味を持っているわけではないと、マイアースに話したと示している。彼は合衆国の反応は、広い範囲の選択肢と可能性の中で考慮されるべきだと考えていた。長官は、彼の本能が、ビン・ラディンだけでなく、サダム・フセインを同時に討つべきだと言ったと話した。ラムズフェルド長官は、そのとき、彼らの内のどちらか一人、あるいはその他の誰かを、責任のある一味として考えていたと後に説明した。
 ライスによれば、イラクについて、もし何かあるとすれば、何をするべきかという問題は、実際にキャンプデービッドでも取り上げられた。イラクについての概況報告書は、他の多くの問題と並んで、参加者に対する報告事項の中にあった。ライスは、イラクが9/11攻撃を利用するかもしれないという事で政府は関心があったと我々に語った。彼女は、大統領が司会をした最初のキャンプデービッドの会議で、ラムズフェルドがイラクについて政府は何をするべきかを質問したことを思い出した。ウォルフォビッツ副長官は、テロリズムとの戦争の「このラウンド」の間に、イラク攻撃の実績を作ろうとしていた。
 キャンプデービッド[会議]のための、テロとの戦いの戦略的構想についての国防総省の概況報告文書は、最初の行動を三つの優先目標:アルカイダ、タリバンおよびイラクとしたことで特徴付けられる。三者の中で、アルカイダとイラクが合衆国に対する戦略的脅威と主張していた。イラクのテロリズムに対する長期にわたる関与が、その大量破壊兵器についての関心と共に引き合いに出された。
 パウエル国務長官は、ウォルフォビッツ ―ラムズフェルドではなく― が、結局はイラクこそがテロリスト問題の源であり、したがって攻撃されるべきだと論じていたのを思い出した。パウエルは、ウォルフォビッツが、イラクが9/11の背後にいると言う彼の信念を、正当化することは出来ないと言った。「ポール[ウォルフォビッツ]はいつも、イラクは片付け無ければならない問題だとの考えだった」とパウエルは我々に語った。「そして彼は、この事件を使うのも、イラク問題を取り扱う一つの方法だと見ていた」。しかしパウエルは、ブッシュ大統領はウォルフォビッツの議論にあまり大きな比重をかけなかったと言った。次の週も、イラクについての心配を続けながら、ブッシュ大統領はアフガニスタンが優先度を持つとみなした。
 ブッシュ大統領はボブ・ウッドワード[シントン・ポスト紙記者]に、イラクに侵攻しないという決定は、915日の朝の会議で決まったと語った。イラクは915日の午後の会議では、テーブルに乗らなかった。単にアフガニスタンのみが扱われた。ライスは916日、日曜日にブッシュ大統領が電話してきて、焦点はアフガニスタンに置くべきだと言ったと話した。しかしながら、彼はなお、やがてイラクが9/11攻撃に関与したことが決定的になれば、イラクに対して国が何らかの行動あるいは処罰を執る計画を望んでいた。
 917日のNSCの会議では、テロリズムとの戦いの「第二段階」について、さらに討議が行われた。ブッシュ大統領は、国防総省に、もしバクダット[フフセイン政権]が合衆国の資産に対して行動するなら、イラクの石油地帯の占領計画を含む、イラク対策の準備をしておくよう命じた。
 ペンタゴンの中では、ウォルフォビッツ副長官が、なおイラクを扱おうとして、しきりにこの事件を主張していた。917日、ラムズフェルドに「これ以上の事件を防ぐために」と始まるメモを書き、もしサダム・フセインが9/11攻撃の背後にいた10%の可能性があるなら、その脅威を取り除くことに最大の優先度が置かれなければならないと論じた。ウォルフォビッツは、可能性は10分の1よりはるかに大きいと主張した。[その根拠として]サダムの[9/11]攻撃に対する賞賛、彼のテロリズムに関与した長い記録、そしてラムジ・ユセフがイラクの工作員であり、したがってイラクは1993年のワールド・トレードセンター攻撃の背後にいたと言う説などを引用していた。翌日、ウォルフォビッツは論議を更新して、ラムジの1995年の、爆発物を積んだ飛行機をCIA本部に衝突させるというマニラ飛行計画の共同謀議への関与、および外国政府からの情報として、ガルフ・エアーのハイジャックについてのイラクの関与などについて、ラムズフェルドに書いた。このような背景で、彼はなぜ自殺パイロットの危険性について殆ど考えてこなかったのかを疑った。そこには、「想像力の欠如」と可能性を排除する固定観念が見受けられた。
 919日、ラムズフェルドは、彼の指揮官たちに、彼らが偶発的[戦闘]計画によって作業する場合のいくつかの考えを提案した。彼は全世界の闘争の性格について強調したが、特定の敵あるいは地域について言及したのは、タリバン、アルカイダおよびアフガニスタンのみであった。シェルトン将軍は、政府は ―注意深い組織やリーダーがなすべきこととして― すべてのペンタゴンの戦争計画を再検討し、そこに横たわる若干の前提に異議を唱えたと我々に話した。
 中央軍指揮官トミー・フランクス将軍は、各地域の指揮官は、その責任を持つ地域について、これらの計画がなにを意味するかを評価しなければならないという、ラムズフェルドの指導文書を受け取った事を思い出した。彼はまもなくアフガニスタンのタリバンとアルカイダを攻撃する事を知っていた。しかし彼は、その活動が、ソマリアやイエメン、イラクで行うことになるかもしれない活動と結びつけられるかについては、今も疑っていると我々に語った。
 920日、ブッシュ大統領は英国首相トニー・ブレアと会った。そして二人のリーダーは、当面する世界的な衝突について討議した。ブレアがイラクについて質問した時、大統領は、イラクは当面の問題ではないと答えた。彼は政府の幾人かは異なる考えを示しているが、決定の作成に責任を持つのは彼一人だとコメントした。
 [トミー]フランクスは、9/11以前の夏に、より強い軍事対応をイラクで行うことを独自に推し進めていたと我々に語った。その要望をブッシュ大統領は、時期が正しくないとの理由で拒否した。(CENTCOMもまたこの時期、イラクへの全面的侵攻の計画のほこりを払い始めたていたと、フランクスは言った)そのCENTCOMの指揮官は、9/11直後に、イラクの動きに対応する更なる軍事計画についての要望を更新したと我々に語った。その理由の一つは、イラクとアルカイダはある種の共謀を行ったかも知れないと彼が個人的に感じたこと、またサダムが、イラクの北部[クルド]と南部[シーア派]の国内の敵に対して動き ―そこは、合衆国がイラクの飛行禁止空域としてその強化のため日常任務として飛行を行っている― 攻撃の先手をとることを彼が心配したことによる。フランクスは、ブッシュ大統領は再びこの要望を却下したと言った。
 920日:木曜日、政府が戦争の準備をする指針となる[国家安全保障]大統領指令Directives)が発表された。ブッシュ大統領は議会の合同会議で国民に対して演説した。「今夜」彼は言った。「我々は危険に対して目覚めた国です」大統領はアルカイダを9/111998年の大使館爆破について非難し、そして初めてアルカイダは「合衆国艦艇コールの爆破について責任がある」と明らかにした。彼はすでに内密に伝達された最後通告について繰り返した。「タリバンは行動しなければならない。それも直ちにだ」彼は言った。「彼らはテロリストを引き渡すだろう。さもなければ、彼らは運命を共にする」。大統領は、アメリカの喧嘩相手はイスラムではないと付け加えた。「アメリカの敵は、我々の多くのムスリムの友人ではない。それは我々の多くのアラブの友人ではない。我々の敵は、テロリストの過激なネットワークと、彼らを支援しているすべての政府である」。彼は他の体制は困難な選択に直面していると指摘した。「あらゆる地域のあらゆる国民は、いま決定しなければならない:あなたは我々と共にあるか、あるいはテロリストと共にあるかだ」
 ブッシュ大統領は、新しい戦いはビン・ラディンを越えて行かなければならないと論じた。「我々のテロとの戦争はアルカイダに対して始められる。しかしそこで終わるのではない」と彼は言った。「それは、あらゆる世界的な拡がりのテロリスト集団が発見され、止められ、そして打ち負かされるまで終わることは無いだろう」。大統領はペンタゴンに対するメッセージを持っていた。「アメリカが行動する時が来た。そしてあなた方は我々を満足させるだろう」。彼はまた合衆国の外部に対するメッセージも持っていた。「これは文明の戦いである」と彼は言った。「我々はすべての国家に我々に加わるかと問う」
 ブッシュ大統領は、921日と102日の中央軍フランクス将軍と補佐官たちとの会議で、アフガニスタン攻撃の軍事計画を承認した。当初「無限の正義」(Infinite Justice)と題された作戦コードは ―無限の正義の力を神のみに結びつけるムスリムの感情に配慮して― これまでアフガニスタンで使われてきた作戦名「不朽の自由」(Enduring Freedom)に変更された。
 計画は四つの段階から成っていた。
  ・  第一段階:合衆国とその同盟国は、当該地域に軍を移動させる。そしてウズベキスタン、パキスタンなどの隣国から、またはそこを越えて、作戦するよう配置する。これは9/11以後、数週間以内に起きる。それは合衆国に対する圧倒的な国際的同情に助けられる。
 ・第二段階:航空攻撃と特殊作戦による攻撃が、アルカイダとタリバンの主要目標に加えられる。革新的な共同の取り組みにより、CIAと特殊作戦部隊が、タリバンに反対する大きなアフガン派閥と共同作業のために配置される。第二段階の攻撃と侵入は107日に始まる。第一段階で計画された基地の配置は、困難な努力によって、この月の終わりまでに、実質的に確保される。
 第三段階:合衆国は国力のすべての要素を使って「決定的作戦」を実行する。その作戦には、タリバン体制を倒し、アフガニスタンにあるアルカイダの保護区を取り除くための地上部隊も含まれる。北部アフガニスタンのマザル・シャリフは、アフガンと合衆国の同盟の襲撃によって、119日同盟の手に陥ちる。四日後に、タリバンはカブールから逃げ出す。12月初め、すべての主要都市が、同盟軍により陥落する。1222日、カブール出身のパシュトン族の指導者、ハミド・カルザイがアフガニスタン暫定評議会の議長に据えられる。アフガニスタンはタリバンの支配から開放される。
  200112月、アフガン部隊は限られた合衆国軍の支援を受け、トラボラと呼ばれる洞窟群に陣取るアルカイダの部隊と交戦した。20023月、最大の作戦が、ガルデッツ南部のシャイコットと呼ばれる山岳地域で、アルカイダ聖戦主義者の大部隊との間で戦われた。三週間の戦闘は本質的に成功し、アルカイダ部隊の残党はパキスタンの同様な山岳地帯で、[パキスタンの]統治が緩やかな国境地帯に逃げ込んだ。20047月現在、ビン・ラディンとザワヒリはなお捉えられずにいると信じられている。
   第四段階:文民と軍隊の作戦は、軍が「安全と安定の作戦」と呼ぶ限界のない任務へ転換する。
 作戦開始二ヶ月以内に、数百人のCIA工作員と特殊部隊兵士は、合衆国空軍の打撃力と、大きな情報施設とそれによる取組みに支えられ、タリバン体制の打破とアルカイダの崩壊のために、アフガン民兵と少数の同盟軍兵士たちと合同した。彼らは、名の知られた敵のリーダーの四分の一を逮捕あるいは殺害した。アルカイダの軍事指揮官で、9/11陰謀の重要なリーダーであったモハメド・アテフも合衆国の航空攻撃によって殺された。戦略全体の考案を助けたCIA上級職員の説明によると、CIAは、情報、経験、現金、秘密工作の能力、および同盟部族[地域]への入域許可を提供した。見返りに、合衆国軍は高度の戦闘知識、火力、物流、通信手段を提供した。2002年の中ごろに得られたこれらの勝利によって、イスラム系テロリズムとの世界的衝突は、異なる種類の闘争となった。


第10章:Note

Note 13.(要約)この朝のWTCタワーの崩壊は、その瓦礫と火災により、南部マンハッタン地域を厚い塵埃で覆った。環境保護局(EPA)は, 911日から21日の間に、この地域の大気汚染について、5回にわたり報道機関向け発表を行った。特に916日付けの発表は「NY市民がNYの金融業務地域に帰っても安全である」という労働省労働安全局(OSHA副局長assistant secretary)の主張を引用した。(しかしOSHAの責任は、労働者に対する室内環境についてのみであった)最も議論となったのは、918日に長官が空気は呼吸しても安全だと発表したことである。それは証券取引所を中心とする金融業務再開の1日後であった。  
 (「委員会」は、専門性を持っていないとして、数値データについては論評を避けている。訳註)

Note 25.(一部)空港再開後、9機のチャーター便が、ほとんどがサウジ国民からなる160名の乗客を乗せて、914日から24日の間に合衆国を離れた。このほか、914サウジ政府のフライトが、防衛副大臣および使節団員を乗せニューアーク空港を出発している。

Note 28. (一部)これらのフライトは、法執行職員、主にFBIによって選別された。ビン・ラディン・フライトと呼ばれた便は、920日に26名の乗客を乗せて出発したが、乗客のほとんどがウサマ・ビン・ラディンの親族だった。この便の選別は、FBIバルチモア支局の捜査官が、本部と連絡をとりながら行なった。

Note 60. Richard A, Clerk,Against All Enemies” p32Free Press 2004
 [邦訳 「爆弾宣言」p56、徳間書店 2004.6 訳註]


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